ありのままのわたしでいる、ということは

自分の全てを愛することではない。

 

 

自分の全てを、全部愛する、というと

非常に聞こえはいいけれど

 

 

嫌いなものを無理に好きになろうとする

その姿勢が既に

ありのままでは、ない。

 

 

 

自分が思う自分の「魅力的なところ」と

相手が思ってくれる「私の魅力的なところ」は

実は、全然違うことも結構ある。

 

 

自分にとってとことん、嫌いだなと思うところが

相手にとってはとても魅力的に映ることも、本当にたくさんある。

 

 

 

 

私は割と自分にコンプレックスが多い方で

それについてもよく、周りの人と話すけれど

 

 

「それでこそぜっきー」と言われることも多い。

そういう部分を持ってこその、わたしという存在という評価。

 

 

 

 

私という存在

全ての多面体を、たったひとりで好きになろうなんて

所詮無理なこと。

 

 

だったら、嫌いな部分は嫌いのままでいいや、と思います。

 

 

 

長所や短所って実は同じことで

 

それらが生かされていたら長所になるし

それが何か問題だと思われたら短所になる。

 

 

だから

自分が好きな自分の魅力的なところは好きなままでいて

自分の嫌いなところは、人に委ねる。

 

 

それでいいと、思うのです。

 

 

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人の天才性が引き出される時

本人の魅力というものが

フルで開花して

その全てが発揮された時

 

 

それに影響を受け、賛同してくれる人

共に喜びを分かち合える人は

全体の2割くらいしか、いないと思います。

 

 

自分で生きる、ということはそういうことでもある。

 

 

天才性を発揮する、ということは

全ての人に好かれる私になる、ということでは、決してなくて

 

 

むしろ

中途半端な関わり方をする人が、いなくなる。

 

 

 

 

嫌われる人にはとことん嫌われ

好かれる人にはどこまでも好かれ

 

 

そして、関心のない人はどこまでも無関心になる。

 

 

 

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世の中の2割の人は

あなたが何をしても、あなたのことが嫌いな人

 

 

 

世の中の6割の人は

あなたが、その人に対して有益なことをもたらしてくれる間だけ

あなたのことが、好きな人

 

 

 

 

残りの2割は

あなたがどんなことをしても

失敗しようが

うまくいかなかろうが

莫大な借金を抱えようが

考えうる全ての迷惑をかけようが

 

 

あなたが史上最悪のことをしたとしても

 

 

あなたが何をしようとも

あなたのことが、好きな人である。