こちらの続きです。


 

 

・私たちは過去を捏造している

 

・認識できる範囲での「わたし」という個は、存在しないものとなる。

 

 

それを踏まえた上でのお話。

 

 

 

 

「今ここ」を大事にする。

「今ここ」の一瞬一瞬を大事にする。

 

 

すでにみなさん、ご存知のことだと思います。

 

 

 

例えばね

お腹が空いて

「今、何を食べたいか」自分に問うた時。

 

 

その時に、私たちは

 

「パスタが食べたい」

「うなぎが食べたい」

「ラーメン食べたい」

「ハヤシ食べたい」

 

と、毎回いろんなものを選んでいます。

 

 

 

でも、その選択はどこからきているかって

 

 

 

全て「過去の経験」から選んでいる。

 

 

 

「前に食べて美味しかった」から、選んでいる。

 

 

 

これこそが「無意識の反応」なのです。

 

無意識に「過去から今」を選んでいる。

 

 

つまり、選んでいるようで実は選んでいない

ということが発生してくる。

 

 

ここに気づくことがめっちゃ大事。

 

 

 

 

受動的選択に見えたものが

能動的選択だった

 

 

これ

今までの考え方を根底から覆すほどの破壊力よねーん。

 

 

 

だって、選んでないから。

選んでいるつもりが選んでないって

私にとっては、ものすごい発見でしたさ。

 

 

:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-

 

 

昔、中学生の頃に演劇部で「夢屋」という脚本を上演しましてね。

あ、中古発見。買おうかな。

 

 

 

 

主人公は「自由」を求めて、夢屋から自由の国行きの切符を買う。

最初は、自由なことやりまくって楽しいんだけど

自由の国が実は不自由だった、ってことに気づいて、元の国に戻るの。

 

何が不自由かって

それは、毎回毎回が「選択の連続」だから。

 

 

昨日と同じものは食べられない。

昨日と同じ服は着れない。

昨日と同じ仕事はやれない。

 

 

全ての「習慣」を禁止する国。

「だってそうだから」

「昨日もそうだったから」という解釈は

「自由の侵略であり、自由の侵害である」という解釈になるんだよ。

 

 

私の役は、それらを取り締まるお役人様だったぜ(笑)。

銭形平次の格好をしていた(笑)。

 

 

今思うと、ここに真理が詰まってるなー。

いつか再演しよう。

 

 

余談だが、中学時代演劇部では、卒業生の追い出し会で

必ず先生方をキャストに入れ込んだ芝居をやってた。

 

一番盛り上がったのは「僕らの七日間戦争」だった…

親や先生役を、そのまんま諸先生方にやってもらったのよ。

最高に面白かったなぁ。

 

 

:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-

 

 

話は戻って。

 

 

 

だからと言って

「今これを食べたいというこの気持ちが嘘」ってことではないからね。

 

 

「これは心の声か?」って毎回考えちゃうのとちょっと似てる。

 

考えてる時点で、既に思考だから「今ここ」ではないってことだ。

 

 

 

私たちは

いつでも、選べる

ってことを言いたいのね。

 

 

いつでも選択し直せる。

いつでもどんな時でも、私たちは選ぶことができる。

 

 

 

同じことが「嫌い」にも言えるわけで

 

「昨日までの私は、嫌いだった。でも、今はどうしたいか」

 

 

だって「過去は捏造」ですからね。

過去のデータ全てが、記憶の一部を切り取ったものだとしたら

 

 

私たちは常に選択の余地がある。

ただ、それに気づいていないだけ。

 

 

 

つまり、自分から発生している思考は

過去の出来事、感情、記憶などから

無意識に選択してしまっている

 

 

これが「習慣化されたフォーカス」ということ。

 

習慣化されていることに気づいていないから

同じ思考パターンを繰り返して

変わらない、変わらないと言い続けている。

 

ただ、それだけのことなんですよ。

 

 

過去をベースにしての物事の捉え方や

 

過去からの現実創造

過去からの未来予測

 

それは、本当に制限された中の

ごくごく狭い世界であることがわかるわけです。

 

 

 

 

例えていうならね

思考で選ぶこと、過去の記憶から選ぶことは

小学生の国語辞典を使っているようなもので

 

 

本当は、広辞苑があるんだけど

 

 

自分は国語時点が全てだと思ってるから

広辞苑の世界はがわからないから

 

紐解けないものは「偶然」とか「たまたま」で片付けてしまう。

 

そんな感じ。

 

 

 

ちがーーーーーう!!!!

あなたは、もっともっとすごいんだよーーーーーと大声で叫びたい。

 

 

どや、おもろいやろー♫

 

 

だから性格でさえ、選べるわけですよ。

 

 

「私は好き嫌いが激しい」のは、過去の私。

「私は内気」なのも、過去の私。

「私はできない」のも、過去の私。

「私は物事が続かない」のも、過去の私。

「私は嫌い」なのも、過去の私。

「私は苦手」なのも、過去の私。

 

 

じゃあ、今ここの私は何を選ぶ?

 

 

 

これがわかると

自己の統一性なんて意味がないことがわかってしまう。

 

私が私だと思っているものがなくなる。

 

これ、ものすごい自由さよ。

 

 

 

「ただ、今ここにある「私」だけがいる」

それは、緩やかに変化していく個という存在。

 

 

それが、本来の「自分らしさ」です。

 

 

 

私という「個」を構成しているものは

毎日、毎回、毎瞬変化していくものだし

それでいいのです。

 

 

 

 

 

 

スピリチュアルや

願望実現や

引き寄せの法則を知り

 

自己対話や

自分と向き合うことや

過去の解消

親との確執

焦がれるほどの欠乏感や

人と比べることの優越感やら劣等感やら

呆れるくらいの思い込みやら何やら

 

それら全てを

全力で、フルにやりきった後

 

 

見えた世界は、そこ。

 

 

楽しくて仕方ない♫

 

 

まだ続きます。

 

 

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