「あなたを大好きでいてくれる人は
 
 あなたがいい人だからあなたを好きなんじゃない。
 
 
 あなたが一番嫌ってる自分
 変えたいと思っている自分
 捨てたいと思っている自分
 
 
 
 その部分に
 ものすごーーーーーーーく愛情を持ってくれているのだぜ」
 
 


 
 
 
 
 
久しぶりの「ありのまま」論。
 
 
 
 
 
 
最近ね、こう思うのですよ。
 
 
 
 
 
「ありのままでいい」
「そのままのあなたでいい」
「自分に還る」
 
 
 
 
 
これは、心の世界やスピリチュアルな世界では
普遍的に言われていることよね。
 
 
 
 
 
 
 
 
じゃあさ
 
・そもそも、ありのままの私ってなんぞや
 
 
 
 
 
そして
 
・なぜそんなにありのままの私になりたがるのだろうか
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
このことの答え。
 
 
 
 
 
 
 
 
ありのままの私になれたら、きっとやりたいことが見つかる
 
 
そうなった私から出てくる望みはエゴの望みではなくて本当の望みだから
やればやるほど自分になれる
 
 
お金も人間関係も全てがうまくいってハッピーになれる
 
 
 
 
 
 
そう思い込んで
 
終わりのない「自分探しの旅」に出てる人が一番多いんじゃないか?
 
 
 
 
 
 
つまり「ありのままの自分が、どこか他に存在する」と思っているということね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
さんざん人生を、自分を、個を探し求めて
ありとあらゆることを学んで実践して対話を続けて来た身から言わせてもらうと
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そんなもんは、ない。
 
 
 
 
 
 
 
 
「ありのままでいたら全てが解決する」というのは、ただの思い込みだし
 
 
 
 
ありのままの私は、不変ではない。常に流動的に変化していくもの。
その変わり続ける私も、ありのままだということ。
 
 
 
 
 
 
 
 
つまり「ありのままの自分探し」は全くもって意味がない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
結局、人はどう生きたいか。
私は、どう生きたいか。
 
 
 
 
 
 
 
この空前のスビリチュアルブームが落ち着きを見せ、ある意味での終焉を迎えつつある中で
 
 
 
 
 
 
 
人は、癒されて自分を知り、ある意味諦めて手放し
心の在り方やジャッジや観念、価値観の入れ替えを行った上で
 
 
 
 
 
 
「じゃあ、その先何を創造していくか」
 
そっちを知るほうがよっぽど大事なことだし、楽しいことだと思うんですよ。
 
 
 
 
だから
「ありのままでいたら、創造できるような素敵な私になれる」なんて妄想はとっとと捨てよう
 
 
 
 
 
「なんでも自分で自由に選択して、好きな世界を創造できる」
そっちのほうが、より面白いと思うし
 
 
 
 
自分を知る旅がもう終わってるのに
まだ自分探しをしているひとは
 
 
 
この「なんでも自分で自由に選択できる」ことが
本当は怖いんじゃないかと思う。
 
 
 
 
 
 
そうやって「本当に変わりたいんです」って言いながら
実は変わりたくないって人を相手にするのももうやーめた。
知らん。
 
 
 
 
 
 
 
ありのままは、一瞬一瞬の今ここの自分を認めること。
 
だとしたら、ありのままの自分であることを意識する必要は一切ない。
 
 
 
 


 
 
とっとと人生楽しもうね🎵
 
 

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