執着と依存心を根こそぎ手放したとは言いがたいけど
手放したような心境でいることが得意になってきました。
本当に、自由にしてください。私はもう大丈夫。
とダンナサンに話してからそろそろ2ヶ月。
離婚になったとしても、
お互いのために必要なことなら、
それが2人の幸せなんだと思った。
腹をくくった。
あれからダンナサンはずいぶん変わりました。
彼女とは会っていない様子。
少なくとも、会っていないことを装ってくれてます。
開き直って毎日浮気していた頃とは大きく意味が違います。
真相はわかりません。
真相はもう、どうでも良いのだと思います。
気になることは、まだ執着してるなというサイン。
どうやって処分してやろうかと考えるきっかけです。
あの時私は、
彼女と会っても、私と別れて彼女と再婚しても、
あなたの自由です。
慰謝料も、養育費もいりません。
本当に自由に、幸せになってください。
自分の進みたい道を進んでください。
それが私のあなたへの愛情です。
離れる事があなたの幸せなら、離れるべきです。
とダンナサンに言いました。
君といることを選んだということだ。
とダンナサンは言いました。
不振な行動?あります(笑)
でもそれをするのは、ダンナサンの自由だと思ってます。
気になります。詮索したくなるときもあります。
ただ、少なくとも、ダンナサンが、やましい事をしてたとしても
隠そうとしているうちは、
私との結婚生活を続けたいという気持ちがあるからだとも思います。
あの頃は、月~土まで、深夜の1時2時に帰宅するのが当たり前でした。
でも今は、毎日10時~11時ぐらいに帰宅してくれます。
土曜日なんて、8時とか9時に帰ってくれます。
実は最初、ちょっとだけ・・こんなに早く仕事が終わってたんだ?
そんなに遊びに行ってたんだ?って苦しくなりました。
でもそんな、過去のことで苦しんでいて何か良いことある?
って思いました。
早く帰ってきて欲しかったんでしょう?
もっと、一緒にいたかったんでしょう?
早く帰ってきてくれるのを、喜んだらいいだけでしょう?
って強く強く思いました。
そっちの気持ちが勝ちました。
逆さまのことばかり思い、
逆さまなことばかりをしてきた1年半でした。
苦しむ方へ、方へ、
一生懸命に自分を導いていました。
浮気されて、ショックを受けると、
そうなるひとが多いんですね。
そして、そうなってる人のブログを見つけては
自分と同じだ!みんなそうなんだ!って安心して、
自分がそうなっていることが、普通なんだ、みんなしてるんだ!って
どんどん深みにはまって、どんどんもっとひどくなって・・・
苦しいです、苦しいですってダンナサンに訴えて
「おうそうか、よしよし、かわいそうに。じゃあ浮気するのはやめるぞ。」
って止めてくれる大人なダンナサンだったら
それで一件落着だけど、
うちのダンナサンはそうじゃなかった。
苦しい苦しいって訴えて
あなたのせいですあなたのせいですって責めたら
もう勘弁して~うちに帰るのイヤだよう~!!
浮気相手のが良いよう~嫁は怖いよう~!!ってなりました(笑)
形では法律と言う足かせでダンナサンを縛って
自分のそばに確保しようとしても
ダンナサンの心は遠く遠くはるか遠くに行ったまま。
嫁に悪いなあと思いながらも浮気してる夫と
浮気は無理やり止めさせられたけど嫁の顔なんか見るのもイヤっていう夫と
どっちがましか?という事には気が付けなかった。
そして、嫁の顔を見るのもイヤってなった夫の心は
そう簡単に嫁に戻るわけが無い事にも気付けなかった。
依存や執着というのは、本当にやっかいです。
何も無い健全な状態では、ほとんど顔を出さないけれど
何かあるとこうやって急に出てきて
エゴをふりまきはじめる。
そして気が付いたころには大切なものをなくしてる。
なくしても気が付かない人もいる。
私は、もうなくしてしまったかもしれない。
彼女が現れなければ・・・って浮気相手を恨んだ事もあったけど
それはとんでもない勘違いでした。
彼女が現れなくても、
執着と依存は、私の心の中にしっかりあったのです。
彼女が現れたから、エゴがドボドボとあふれ出して、
気が付くことができました。
浮気の問題が起きなかったとしたら、
心の中に依存と執着をドッシリと住まわせたまま、
私はダンナサンを幸せにする事も
自分を幸せにする事も
できなかったと思います。
人は自由。
夫は、妻の所有物ではなく
子供は、母の所有物ではなく
そして自分も、誰の所有物でもありません。
どういう結果も怖くないんだと。
どういう未来も、ワクワクと期待できるものなんだと。
外でどんなに強風が吹いていたとしても、
私はしっかりと私の両足で立って
ぐらつくことなく、心の中はポカポカと暖かく、
愛する人をただ愛するということを貫きたい。
自分が心から幸せだと思いながら生きていく為に。
手放したような心境でいることが得意になってきました。
本当に、自由にしてください。私はもう大丈夫。
とダンナサンに話してからそろそろ2ヶ月。
離婚になったとしても、
お互いのために必要なことなら、
それが2人の幸せなんだと思った。
腹をくくった。
あれからダンナサンはずいぶん変わりました。
彼女とは会っていない様子。
少なくとも、会っていないことを装ってくれてます。
開き直って毎日浮気していた頃とは大きく意味が違います。
真相はわかりません。
真相はもう、どうでも良いのだと思います。
気になることは、まだ執着してるなというサイン。
どうやって処分してやろうかと考えるきっかけです。
あの時私は、
彼女と会っても、私と別れて彼女と再婚しても、
あなたの自由です。
慰謝料も、養育費もいりません。
本当に自由に、幸せになってください。
自分の進みたい道を進んでください。
それが私のあなたへの愛情です。
離れる事があなたの幸せなら、離れるべきです。
とダンナサンに言いました。
君といることを選んだということだ。
とダンナサンは言いました。
不振な行動?あります(笑)
でもそれをするのは、ダンナサンの自由だと思ってます。
気になります。詮索したくなるときもあります。
ただ、少なくとも、ダンナサンが、やましい事をしてたとしても
隠そうとしているうちは、
私との結婚生活を続けたいという気持ちがあるからだとも思います。
あの頃は、月~土まで、深夜の1時2時に帰宅するのが当たり前でした。
でも今は、毎日10時~11時ぐらいに帰宅してくれます。
土曜日なんて、8時とか9時に帰ってくれます。
実は最初、ちょっとだけ・・こんなに早く仕事が終わってたんだ?
そんなに遊びに行ってたんだ?って苦しくなりました。
でもそんな、過去のことで苦しんでいて何か良いことある?
って思いました。
早く帰ってきて欲しかったんでしょう?
もっと、一緒にいたかったんでしょう?
早く帰ってきてくれるのを、喜んだらいいだけでしょう?
って強く強く思いました。
そっちの気持ちが勝ちました。
逆さまのことばかり思い、
逆さまなことばかりをしてきた1年半でした。
苦しむ方へ、方へ、
一生懸命に自分を導いていました。
浮気されて、ショックを受けると、
そうなるひとが多いんですね。
そして、そうなってる人のブログを見つけては
自分と同じだ!みんなそうなんだ!って安心して、
自分がそうなっていることが、普通なんだ、みんなしてるんだ!って
どんどん深みにはまって、どんどんもっとひどくなって・・・
苦しいです、苦しいですってダンナサンに訴えて
「おうそうか、よしよし、かわいそうに。じゃあ浮気するのはやめるぞ。」
って止めてくれる大人なダンナサンだったら
それで一件落着だけど、
うちのダンナサンはそうじゃなかった。
苦しい苦しいって訴えて
あなたのせいですあなたのせいですって責めたら
もう勘弁して~うちに帰るのイヤだよう~!!
浮気相手のが良いよう~嫁は怖いよう~!!ってなりました(笑)
形では法律と言う足かせでダンナサンを縛って
自分のそばに確保しようとしても
ダンナサンの心は遠く遠くはるか遠くに行ったまま。
嫁に悪いなあと思いながらも浮気してる夫と
浮気は無理やり止めさせられたけど嫁の顔なんか見るのもイヤっていう夫と
どっちがましか?という事には気が付けなかった。
そして、嫁の顔を見るのもイヤってなった夫の心は
そう簡単に嫁に戻るわけが無い事にも気付けなかった。
依存や執着というのは、本当にやっかいです。
何も無い健全な状態では、ほとんど顔を出さないけれど
何かあるとこうやって急に出てきて
エゴをふりまきはじめる。
そして気が付いたころには大切なものをなくしてる。
なくしても気が付かない人もいる。
私は、もうなくしてしまったかもしれない。
彼女が現れなければ・・・って浮気相手を恨んだ事もあったけど
それはとんでもない勘違いでした。
彼女が現れなくても、
執着と依存は、私の心の中にしっかりあったのです。
彼女が現れたから、エゴがドボドボとあふれ出して、
気が付くことができました。
浮気の問題が起きなかったとしたら、
心の中に依存と執着をドッシリと住まわせたまま、
私はダンナサンを幸せにする事も
自分を幸せにする事も
できなかったと思います。
人は自由。
夫は、妻の所有物ではなく
子供は、母の所有物ではなく
そして自分も、誰の所有物でもありません。
どういう結果も怖くないんだと。
どういう未来も、ワクワクと期待できるものなんだと。
外でどんなに強風が吹いていたとしても、
私はしっかりと私の両足で立って
ぐらつくことなく、心の中はポカポカと暖かく、
愛する人をただ愛するということを貫きたい。
自分が心から幸せだと思いながら生きていく為に。