ふと思いました。

今まで、ダンナサンと言う人は、

周りのいろんな人に対して、

いろんな事をして苦しめてきました。

普通に考えると、結構ひどいことをしてきてます。


家族だったり、恋人だったり

妻だったり、子供だったり、不倫相手だったり、多数。


わたしは、

ダンナサンの浮気と言う出来事があって

本当に自分の色々な部分を知って、

自分自身を奥のほうまで良く見て考えるということを

生まれて初めて経験しました。

最初の1年ぐらいは、

どうやって浮気を止めさせようかっていうことばかり

考えていましたが、

どうもそうじゃないな?と思い始めて

自分が変わるべきときかもしれないなと

気が付きました。


そして、ダンナサンは関係なく、

自分の中に、変える必要がある部分があることに

気が付きました。

ダンナサンと一緒でも一緒じゃなくても

そこを変えない限り、幸せになれないし

誰も幸せにできないと。


今はまだその形をはっきりと見出せていないし

考えてる途中だけど

これをキッカケに、いつか自分なりの答えを出すと思います。


今になって気が付いたことですが、

今までダンナサンに苦しめられてきた人だと思っていた

ダンナサンの周りにいた過去の人たち、

この人たちも、わたしのように何かに気がついて

ダンナサンの元を去って行ったのかもしれないと。


色々な過去のエピソードをダンナサンから聞いていて、

何の気なしに聞き流していたけど

その人たちが、ダンナサンの元から去って行った過程を

よく考えてみると・・・

共通点があり、今の自分と重なるものがあります。


みんな、ダンナサンの元から去って新しい生活をしていたり

以前の自己とは何かしら変化して生活していたりしてます。

ダンナサンと知り合う前よりも、

幸せに、イキイキと暮らしているんです。


ダンナサンと言う人は、みんなの踏み台なのか・・・

ダンナサンにはそんな意識はないと思うけど

ダンナサンから何かをされた事によって

成長して、真の幸せを手に入れてる・・・。


ダンナサンと言う人は、踏み台になって

その場に取り残されて、また次の対象を待って、

また踏み台になって、それを繰り返している人なのかも。

苦しい場所にずっと置き去りで。


わたしは、どうしてダンナサンの元を去ることができないのか?

まだ、成長できていないからなのか

それとも、わたしは、ダンナサンを置き去りにしないで

その場所から、引っ張り出す役目を仰せつかったのか。


生まれてくるには意味があるというけれど

ダンナサンのような役目をしている人って

意外とたくさんいるのかもしれない。

悪者みたいだけど、悪者なんだけど、

悪者のおかげで、幸せになれる人というのも

いるってことかな。