今まで常識的に生きてきたわけじゃないので

いや、かなり非常識極まりない生き方をしてきたので

ここに来て、急に世間一般に身を添わせることも

ないんですよね・・・。


ダンナサンが浮気をしてからの1年半、

やけに私は常識の枠にはまることに

こだわったりしていたというか、

やっぱり、ダンナサンの浮気を攻撃する為の

材料が欲しかったからなのかなと思います。


結婚してたら浮気しないのが当たり前

浮気がばれたら別れて謝るのが当たり前

子供がいたら子供を優先するのが当たり前


自分はというと、そんな常識、蹴飛ばして生きてきたくせして

人にやられたとたんに、どこかの引き出しから借りてきて

さも自分の駒のように、じゃじゃーんと出して見せたりして。


ここで都合よく、元の非常識人間に戻るというのも

またずるいかもしれないけど

何か決まった枠に当てはめて動こうとしていた自分を

冷静に見てみると、私らしくないなと

違和感を感じたりしているわけです。


私がダンナサンを愛するかたちは

私、唯一の方法で、良いわけです。

私なんだから、私の自由。


2人で話し合ったら、離婚が最善の策かもしれないし

前の記事で書いた、割り切り夫婦のような形が良いのかもしれないし

もっとそれ以外の方法でよい方法があるのかもしれません。


何が私にとって一番良いのか。

私にとって良いことは、

世界で一番大切な子供たちと

二番目に大切なダンナサンにとっても

良いことになるでしょう。

本当に大切なら、その人が幸せな方法を考えるから。

そうすると、本当に大切じゃなかったら

その人を不幸にする選択をするかもしれません。


ものすごい無責任ですけど、

だったらそれでいいじゃん。です。

だって大切じゃない他人の事なんて

自分を犠牲にしてまで幸せにしてあげる必要なしです。
(子供は他人じゃないから別ですけど)


狭まった視野を元の広い視野に。

昔の自分のように、なんでもありな考え方を。

やわらかく、あせらずに、

自分の愛し方をどういうかたちにするのか考えよう。


それがわかると、目的が定まってくるはず。