前項で、自分の感情についてを書いてみた。

そこで私は、自分自身が今何に辛く思っているのか?という事に

すこし気がついた。



そして、今の状況を整理してみた。

そしてまたまた気がついた。



「結婚」という事に対して、自分の考え方というのが前からあった。

ちょっと、変わっているので、不快に思う方もいるかも・・・ゴメンナサイ。

私自身の考え方なので、誰にも押し付ける気はないし、

同意も求めません。これが正しいとは1ミリも思っていませんので、ご容赦ください!



私、「結婚」は、人間が決めたくだらない「制度」だと思ってる。

じゃあ何故私も「結婚」という制度にしたがっているのか?

「結婚」しないと、子どもを産んでも色んな制度が受けられないから。

住むところの事や、会社での事、色んな所に制度的に支障が出るようになっている。

まあただのくだらない「制度」なんだから、そんなにこだわる必要も無いし、

籍を入れる必要があるなら、入れときましょうか。っとまあそんな風に結婚した。



「制度」はさておき、そもそも何で「結婚」が自分にとって必要なのか?

それは、「相手が好き」だから「一緒に暮らしたい」「子どもを産みたい(産ませたい)」

要するに恋とか愛とかが理由だと思う。


「恋」とか「愛」って、心が自然に感じること。思うこと。

「この人に恋をしよう!」とか思ってできるものではない。

逆に好きになってしまったものを「あきらめる」って事は、もっと大変。


この、ほとんどに人にとって、コントロールが難しい「恋愛」という感情を、

「制度」で縛ろうとするって、そもそもナンセンスだし無理だと思う。

「好き、愛してる」って感情は、強制されて維持できるものではないと思う。



私は、「制度」に縛られて、「強制的」に愛してもらいたいとは思わない。

それならば、辛くても自分ひとりで生きていく方を選択する。

自分は経済的にも、精神的にも、一人で子どもを全員育てて生活する自信はある。

3年間、何の不自由もなく、ちゃんとできてたし。



じゃあ、何故、浮気相手を好きだというダメ夫と離婚しないの??



・私がまだダンナサンの事を好きだから。

・ダンナサンもまだ私の事も好きだから。(と自分が感じるから)

・いつかまた恋愛関係に戻れる見込みがあるから(そう信じたいと自分が思っている)から。



これが理由。

だから、今は「ダンナサンを待つ」という選択をしている。

誰のせいでもない。全部自分で決めていること。



ダンナサンは、今も昔も、私に「強制」したことがない。

・君が辛くて我慢できないようなら、君が離婚したいと言うなら、それに応じる。

・自分は離婚したいと思っていない。君と一生一緒に歳をとりたい。

・もしanが希望して、離婚しても、経済的な責任はとる。

・必要なら自分が子どもを育てることも協力する。



最初、ダンナサンのこの言葉を聞いたとき、

「なんて愛情の無い事務的で悲しい言葉だろう!」って感じて泣いた。

でも違うんだ・・・ダンナサンは、私と同じ結婚感・恋愛感を持っている人だった。


「夫が自分以外の女性と恋愛している」という悲しい出来事に、

完全に被害者になって、「自分ってかわいそう・・・」ってなっていた。

自分を可哀想がったらおしまいだと、そういう意識で生きてきたのに。

いつもポジティブに置き換えることが、人間としての一番の才能だと思っていたのに。

夫の浮気と言うのは、女性をこうまで変えてしまうものなんですね。


全ては自分が選んだ道。


・夫に恋をしたのも

・夫と再婚したのも

・子どもを産んだのも

・夫の浮気が終わるのを待って泣いているのも



誰のせいでもない。

イヤならやめれば良い。



自分はこういう考え方の人間だったのを思い出した。