今回は土日に数冊手に取り、乱読した本の中で印象に残った
「間抜けの構造:ビートたけし(著)」について書きたいと思います。
英語だと翻訳できない日本特有の「間」について書かれた本です。
「間」。
当たり前に使うことですが、この書を通して改めて考えてみました。
まずは内容から。
[歴史的背景]
日本人は「床の間」や「茶の間」といった空間に昔から馴染み、
「間に合う」という慣用句もあるくらい、"間"を大事にしてきた民族。
「間近」「床の間」「間尺」「居間」「間合い」「間延び」「間に合う」等、
*確かに日本語には「間」を使った言葉が多い。
[映画は間で決まる]
例えば、映画の"間"の項目について、著者は「映画は間で決める」と発言する。
作家にとっての文体のように、映画監督の個性は”間”の違いだとしている。
*今後は、「間」に注意して映画を見てみてはどうでしょうか。
[間=日本文化?!]
また、この欧米に存在しない言葉や概念である"間"を考えることは、
日本人を考えることに通じると著者は主張しています。
これは他のスポーツや芸術等の"間"の話についても同様。
歌舞伎でも踊りでもその出来を左右するものは"間"であって、
芸時を活かすも殺すも、"間"次第。
一方著者は、「間」を大事にする文化は過剰に空気を読む文化にも
つながりかねないので、改良を重ねるのは上手いが、思い切ったイノベーションを
生み出すという点ではマイナス面もあると指摘している。
*納得ですね。
[間の例:アナウンサー、お笑い芸人]
それだけ"間"というものは重要だからこそ、"間"を外せば、"魔"ともなる。
テレビで人気あるキャスターとかアナウンサーは、このあたりの間合いを
熟知していて、息継ぎのタイミングを研究しているからみんな上手い。
呼吸と"間"は密接につながっていると考えて間違いない。
(実際、アナウンサーがバラエティ番組で"外す"ことは少ない)
本書では「ひな壇芸人」の苦労についても触れている。
「ひな壇芸人」はバラエティ番組に20人位並べて座らされ、
参加者全員が目が血走った状態で、少しでもしゃべるチャンスが
無いかをうかがっている。
もちろん、そこで印象に残る発言や行動をしない
「ギャラ泥棒」に次の出番が訪れるはずはないので、
それも当然である。
著者はここで上手くやるコツも上記の討論のときと同様、
司会者が息を吸った瞬間に入るのがセオリーとしている。
が、プロの芸人達はとっくにそんなこと分かっている。
だから、司会者が息を吸った時はひな壇芸人全員が一斉にしゃべりだす。
タイミングを図りつつも、周りのメンバーを出し抜かなければならない。
つくづく、芸人はつらいと思う。
お笑い芸人にとっては死活的に重要なこの"間"であるが、
著者は、お笑いだけではなく、スポーツや芸術・映画、
はたまた人生において、"間"は決定的に重要であると断言している。
[間が良い人とは、]
"間"が良い人は、相手が呼吸をしたタイミングで入ってくる。
例えば、ある人が「私が言いたいのはね…」と言った瞬間、
「いやぁ、だけどさ」という具合に相手から話を奪うのだ。
つまり、呼吸の間合いを読むのが上手い。
[ビートたけしの考え]
ビートたけしは、「自分を客観視する能力がない人間が、決まって間抜けである」
という持論をもっている。
「だからこそ、人生というのは”間”だと思った方がいいんじゃないか。
我々の人生というのは、生きて死ぬまでの”間”でしかない。生まれたときの
”点”と死ぬときの”点”があって、人生はその間のことに過ぎない」。
芸の世界や監督業や人生など様々なものに「間」という言葉に投影しながら
著者の考えや現在の境地を語っているという点で、面白く読める本だった。
[私の感想]
少し内容説明が長くなりましたが、間というトピックから著者の人生の紆余曲折。
売れない時代の笑えるストーリーから、世界のたけしまで。
普段考えたことがない間という新しい視点を提供してくれるので、お勧めの本です。
研修でのスピーチや発言、人とのコミュニケーション等で簡単に鍛えられるものではないが、
常に良い"間"を考えていきたい。
では、今週も研修がんばります。