こんにちは★

 

 

「高1の夏に両親が離婚した話」

第22話

 

 

 

・・・

 

なんですが、今回からタイトルを変えようと思います!!!

 

勝手で申し訳ございません😢

 

 

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さて、Yに誘われてさっそく私は遊びに出かけます★

 

当時19歳

 

医療事務の専門学校に通いながらアパレルのバイトをしていました。

 

因みに、Yはもう既に正社員として企業に勤めていました。

 

 

平日、Yの仕事終わりに遊ぶことになり、

 

私の家にYは車で迎えに来てくれました

 

 

既に二人共各自の自宅で夕飯は済ませていました

 

なので平日ということもあって、特に行きたいところもなかったので

 

近所のチェーン店の喫茶店へ行きました

 

 

二人で他愛もない話をしながらコーヒーを飲み、

2時間ほどして帰路に付きました

 

 

それくらい、私とYの初デート?はあまり記憶には残りませんでした(笑)

 

 

当時、両親との確執に追われていた日々だったので、

全てに対して私はどこか投げやりでした

 

Yと今後どうなっていきたいかなども何も考えていませんでした

 

 

 

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次回へ続きます→→→

こんにちは★

 

 

「高1の夏に両親が離婚した話」

第21話です!

 

 

 

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友人の誕生日会も無事に終わり、みんな帰路へと向かいます。

 

そして、私が目を惹かれた人(以下から“Y”とします)と

私の家は偶然にも同じ方向でした。

 

私はその日、車で来ていたので、成り行きでYを家まで送っていくことになりました。

 

その際、何故かもう一人、男子を送っていくことになりました。

送ってって!お願い!と懇願されたことだけ覚えています(・_・;)

 

そしてその人を家まで送り届けた後にYを家に送りと届けました。

 

Yが車を降りようとした時に、Yは私に連絡先を訪ねましした。

私は何も躊躇することなく連絡先を教えました。

 

そこでYと別れ、私も家に帰りました。

家に着いた時、同時に携帯電話が鳴りました。

 

Yからでした。

 

「今日は送ってくれてありがとう!

良かったら今度遊ばない?」

 

私は内心とても嬉しかったです。

 

「こちらこそありがとう!

いーよー

あそぼー★」

 

と返信しました。

 

 

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次話へ続きます☞☞☞

 

 

 

 

 

こんにちは★

 

 

「高1の夏に両親が離婚した話」

第20話です!

 

 

 

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私の高校生活の思い出は、

バイトとライブが8割を占めています。

 

それだけ、バイトとライブに明け暮れていました。

そんな生活をしていたおかげで、高校3年間はあっという間に過ぎました。

 

私は、高校を卒業したら大学へ進学するつもりでいました。

 

でも、両親の離婚を歯切りに、大学進学は自然と諦めていました。

 

奨学金を使うなど、さまざまな方法はいくらでもあると思います。

でも、当時バイト生活だった私に勉強に気力を費やす余裕はありませんでした。

それに、進学するよりも私は早く働いて自分で稼ぎたいという思いも強かったのです。

 

でも、母の想いで私は医療事務の専門学校に進学しました。

 

将来の事を考えて、安定を求めた結果でした。

正直、医療事務という職には興味も何もありませんでした・・・

 

専門学校は2年制なので、必要な資格は全て1年目に取得します。

 

そして、専門学生1年目の夏、

仲が良かったクラスメイトの誕生日会に参加しました。

 

参加者は、主役の女の子の高校の同級生8人と私たち専門メンバー5人。

 

高校の同級生メンバーの男女比率は丁度男女半々でした。

そして、専門メンバーの5人は全員女子でした。

 

同級生メンバーの男子の中で、たった一人、目を惹かれた人がいました。

俗にいう、イケメンです(*'ω'*)(笑)

 

そしてこの出会いが、私の人生にとても大きく関わってくることになります・・・

 

 

 

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次話へ続きます☞☞☞

 

 

 

 

こんにちは★

 

久しぶりのブログになってしまいました・・・

 

 

「高1の夏に両親が離婚した話」

第19話です!

 

 

 

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私の高校生活は、離婚した父と母、そして母の彼氏(パパ)との

まるで渦のような人間関係に押しつぶされそうな毎日でした。

 

※過激な表現があります。ご了承ください

 

 

 

そんな人間関係の中で生きていた私は、

正直、

何度も自殺をしようと思ったことがありました

 

ブログでは掻い摘んで書いているので、

え?そんなことで??と思われる方が大半だと思います。

 

だた、当時15~17歳、

今思えばまだまだ子供だった当時の私。

そして、15年間とても仲が良かった家族の崩壊、分裂に

私は耐えしのぐことだけで精一杯でした。

 

その中で何度も父と母、パパと衝突をするたびに、

何度も死にたいと思っていました。

 

その中でも私は大好きなバンドがいました。

 

自分でバイトして稼いだお金でライブに行くことが

当時の私の生きがいでした。

 

死んだらもうライブに行けなくなっちゃうな~・・・

と、当時は真剣に考えていました(笑)

 

ライブの為にバイトに行って、

ライブの為に今日も生きよう!と毎日思っていました。

 

今考えると自分でも笑ってしまいます(;^ω^)

 

ただ、どんな状況の中でたった一つ、

○○の為に生きよう!

○○の為にがんばろう!

と思えるものがあったことが幸いしましたし、

本当に私は救われていました。

 

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皆様には、自分の中での生きがいは在りますでしょうか??

 

 

 

次話へ続きます☞☞☞

 

 

 

こんにちは★

 

 

「高1の夏に両親が離婚した話」

第18話です!

 

 

 

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私の小さい頃の話を少し・・・

 

 

私の母は躾に関してはとても厳しかったです

 

 

母は人として大事な事を犯す事に関しては

とても厳しく私を叱ってくれました

 

例えば、訳もなく人を傷付けたり、

挨拶が出来ない、

人のものを盗む、

ありがとう、ごめんなさいが言えない、

人を馬鹿にする行為、

 

母の躾は当時の私はとても怖く、辛く、厳しいものでした

 

でも、それは今思えばとても感謝しています

 

他人にも厳しく、自分には更に厳しい私の性格は

本当に母そっくりです

 

 

人に不快感を与える身だしなみを母は嫌う人でした

 

ピアスや金髪、乱れた服装も母は嫌いです

 

そんな母に対する当てつけなのか、

反抗なのか、

私は高校三年間でピアスを開けまくり、

服装はもろバンギャル、

長期連休には必ず髪の毛を染めていました

 

何度も反省文を書かされましたが、

無事に高校は卒業しました

 

 

それは、私と、母と父との約束だったのです

 

 

 

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次話へ続きます☞☞☞

 

 

 

anri

 

 

 

 

こんにちは★

 

 

「高1の夏に両親が離婚した話」

第17話です!

 

 

 

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

 

母とパパとのことがあり、私は実家に帰りました・・・

 

 

久しぶりに実家で寝泊まりをすることになり、

父は最初の3日は私に優しくしてくれました

 

ですが、それも1週間を過ぎれば

自然と父との会話も少なくなり、

私も学校とバイトの往復生活になり、

バイトが無い日は必ずと言っていいほど

外に遊びに出掛けていました

 

そんな日々を繰り返して2、3ヵ月経った頃、

母から連絡が来るようになりました

 

やはり、距離と時間がある程度開くと

人間は優しくしたくなるのかな・・・

とこの頃から思っていました

 

母の家と実家の行き来をしながら、

私の高校生活は過ぎていった記憶です

 

 

ちなみに私の高校は就職率が売りの高校だったので

身だしなみの校則は厳しかったです

 

ピアスを開けてはいけない

髪の毛を染めてはいけない

スカートは膝下何㎝じゃなければいけない

 

そんな校則の中、

私が初めてピアスを開けたのは

高1の冬休みでした

 

しかも初めてのピアスが軟骨でした(;^_^A

軟骨なら耳たぶよりもバレないだろうと思ったからです(笑)

 

私はあるバンドのファンだったことと、

当時軟骨にピアスを開ける事がとても流行っていたこともあり、

私の耳には高校生活3年間で11個もの穴が開いていました(^^;

 

 

 

当時の私からしたら、幼少期、

とても厳しかった母への当てつけだったのかもしれません・・・

 

 

 

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次話へ続きます☞☞☞

 

 

 

 

 

anri

 

 

 

 

こんにちは★

 

 

「高1の夏に両親が離婚した話」

第16話です!

 

 

 

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パパの罵声が飛んできた瞬間、

私は勢いに押されて身体が固まりました

 

次の瞬間、恐怖に襲われ

走って違う部屋へ行き

扉を閉めた途端に涙が洪水のように溢れ出ました

 

涙が止まらなくなった瞬間から、

呼吸がうまくできなくなります

 

気道がどんどん狭くなっていき、空気を吸う事も吐き出すこともしにくい・・・

 

私は、この症状がなんなのか分かりませんでいた

 

ただ激しく泣いた時に呼吸が乱れるものの

悪化バージョンだと当時は思っていました

 

でも、今思い返すと、

おそらくこれは過呼吸でした・・・

 

 

様子を見かねた母は、背中をさするながらも私に、

 

「あんた喘息なんてじゃないのになんでそんな苦しがってるの?」

 

と言い放ちました

 

 

私は苦しいながらも、母の言葉を疑いました

 

 

え?この人何を言っているんだろう・・・

喘息なのかなにかは私も今分からないけど、

こんなに苦しいのに、なんでこの人こんなに冷たいんだろう・・・

 

少なからず母の事を思ってはなった一言でも

母はなんとも思っていなかったのだと

この瞬間に知りました

 

 

その内、泣いている事が馬鹿馬鹿しくなりました

 

誰も私の涙を拭いてくれるわけでも、

心配してくれるわけでもない、

なのに泣いても何の意味もないと

当時の私は思っていました

 

そう思うと自然と涙は止まり、

少しずつ呼吸も戻ってきました

 

 

翌日、学校が終わった後、

私は母の家には帰らず、実家へ帰りました・・・

 

 

 

 

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

 

 

 

次話へ続きます ☞☞☞

 

 

 

 

 

anri

 

 

 

 

 

こんにちは★

 

 

「高1の夏に両親が離婚した話」

第15話です!

 

 

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

 

 

バイトが終わって、母の家に帰宅した際、

 

リビングから怒鳴り声が聞こえました

 

パパ(義父)の声でした

 

今ではもうはっきりとした喧嘩の原因は覚えていませんが、

ぼんやりと覚えているのは、パパの嫉妬からくるものでした

 

口喧嘩が絶えず、それでも家の間取り的に

私のちゃんとした部屋は無かったので

喧嘩している横で私は夜ご飯を食べていました

 

パパの言い分はエスカレートしていき、

収拾がつかなくいき、あまりにも耳障りでした

 

学校とバイトで疲れていたこともあり、私はつい言ってしまったのです

 

「そんなにお母さんに対して嫉妬心を抱いて

こうやって喧嘩になるってことは

パパは自分に自信がないってことなの?!?!」

 

 

この言葉はパパにとって地雷でした

 

次の瞬間から鬼の形相をしたパパから罵声が飛んできます

 

 

「ガキのくせに大人の話に口はさんできてんじゃねえ!!!

このクソガキが!!!!!!!」

 

 

私「・・・・・」

 

 

 

 

 

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

 

 

 

次話へ続きます ☞☞☞

 

 

 

 

anri

 

 

 

 

 

こんにちは★

 

最近仕事が忙しくて

ブログ投稿が久しぶりになってしまいました・・・

 

 

 

 

「高1の夏に両親が離婚した話」

第14話です!

 

 

 

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私は父の事を

一人の人間としてみるようになります

 

父親というフィルターを一度取り除いて父の事を見てみると

父は要所要所で、自分のことを犠牲にして私は母に尽くすということが

きっと苦手な人だったんだと気づきます

 

母が父との離婚を決意した真意はまさしくそこでした

 

 

高校生ながらにして、

こんなことを日々考えていました

 

周りから、なんてませた高校生なんだと

言われることが増えたのもこの頃からでした

 

 

父の人間性が垣間見えだした頃、

私はしょっちゅう母の家に寝泊まりをしていました

 

 

そんなある日、また事件が起きます・・・

 

 

 

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

 

 

15話へ続きます

 

 

 

 

 

anri

 

 

 

こんにちは(#^^#)

 

「高1の夏に両親が離婚した話」

第13話です!

 

どうぞ!

 

 

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

 

 

私が母のお腹の中にいた頃の話です

 

 

私の母は昔から身体が強い方ではなく、

妊娠しにくい身体でした

 

兄が小学生低学年になった頃、

当時兄妹がいることが当たり前な時代だったんでしょう

 

何故自分には兄弟がいないのかと

よく母に聞いていたそうです

 

そんな兄を見かけて、

母は不妊治療へ1年間通いつめ、

私を妊娠してくれました

 

 

私の地元ではちょっとしたお祭りが毎年開かれます

父は地元育ちなので、毎年欠かさずお祭りに参加していました

 

その毎年恒例のお祭りがやってきたころ、

母は妊娠4か月でした

 

身体の弱い母は

悪阻も貧血もひどかったため、

安定期を過ぎるまで入院生活を送っていたそうです

 

そんな中、父はそんな母をよそにお祭りへ行こうとします

 

母はあまりにも腹が立って父と口論になりました

 

 

 

母「私とお腹の子よりも、そんなにお祭りが大事なら、

この子堕ろすから!!!」

 

父「堕ろせるもんならそうしてみろ!」

 

 

 

・・・

母は絶望と怒りで頭がおかしくなりそうになったと

当時の事を私へ話しました

 

 

母からそんな話を幾つか聞き、

そして、

私が母の家へ行きだした頃に父に言われたことを思い返し

父という一人の人間が少しずつ分かってきました

 

 

 

父は、自分の事が何より大事な男性なのです・・・

 

 

 

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

 

 

第14話へ続きます

 

 

 

 

 

 

anri