こんな映画を観ました。
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1984年、スーダン難民キャンプ。ある母子がいた。母親は、エチオピアのユダヤ人だけがイスラエルに脱出できることを知る。2人はキリスト教徒のエチオピア人だったが、母は9歳になる息子にユダヤ人と名乗るように言った。「行きなさい。生きて、そして何かになるのです」母は、幼い息子を亡くしたばかりのエチオピア系ユダヤ人の女性ハナに、自分の息子を託した。9歳の少年は、母の強い覚悟に従うしかなく、母と別れる張り裂けんばかりの悲しみを胸にイスラエルへの飛行機に乗った。
原題:Va. vis et deviens
監督:ラデュ・ミヘイレアニュ
出演:ヤエル・アベカシス、ロシュディ・ゼム、シラク・M・サザハ
配給:シネマスコープ
フランス 2005年
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ストーリー紹介だけ見てふむふむと思いながら観始めたのですが、なぜエチオピアにユダヤ人がいるのか?なんでこの人たちだけ助けてもらえるの?って意味が分からなくなり、いったんDVDを止めてまずは「モーセ作戦」について勉強をしました。
下記は公式HP
より抜粋したものです。
1984年11月から85年1月にかけて、イスラエルと米国の指揮のもと、エチオピア系ユダヤ人をイスラエルに帰還させるという大規模な作戦が展開された。それが「モーセ作戦」である。
エチオピア系ユダヤ人は、移民を禁じていたメンギストゥ率いる親エジプト政権の目を盗むようにしてエチオピアに密かに出国し、スーダンの難民キャンプまでひたすら歩き続けた。その地では、ユダヤ人であることが発覚すると命を奪われる恐れもあり、それを避けるために、彼らは出自を隠した。スーダンでは、彼らをイスラエルへ移送するための飛行機が待ちかまえていた。
この第一回空輸作戦で、8千人のエチオピア系ユダヤ人が救出されたが、スーダンへの途上、襲撃、拷問、飢えや渇き、あるいは疲労で、命を落とした者は4千人にのぼった。
1989年にソビエト社会主義共和国連邦が崩壊。91年5月には共産主義(ソ連)寄りだったエチオピア軍事政権が失墜するとともに、にわかに大規模な移送作戦が第二回空輸作戦という形で決行された。今回は首都アディス・アベバが出発点となった。「ソロモン作戦」と銘打たれた移送作戦は、36時間で1万5千人のエチオピア系ユダヤ人をヘブライ国家に送り届けた。
現在、イスラエルにおけるエチオピア人コミュニティーは9万人を超えている。
出たよ、アメリカ。。。
またいろんな国の事情に首突っ込んで・・・
って杏のアンチアメリカは、置いといて。
たまにはいいこともやってるのね、アメリカ。
そんな映画の時代背景も学んでから、観ました。
主人公の少年は、母と別れ一人イスラエルに。
イスラエルでシャワーを浴びせられるシーンで、少年は流れていってしまう水を必死で止めようとします。
泣きながら「自分のせいじゃない」と叫ぶ少年。
彼らのキャンプでの生活がいかに過酷なものだったか片鱗を見せられ、また後半に分かる彼の水に関する心の傷を知ると納得とともに本当に心が痛みます。
両親の名前、祖父母の名前、兄弟姉妹の名前。
ユダヤ系かは名前で分かるため、全てイスラエルに一緒に連れてきてくれたハナから教えてもらった名前を、自分の家族として覚えます。
自分の出生を隠し、偽りの名前を名乗り、自分の家族を葬り去らないと生きていくことが出来ない。
名前を奪うって、人権を侵害する基本的なファーストステップ。
拷問の基本です。
そんな状況に、小さな彼が行うハンスト。
自分だけ恵まれた環境になってしまったことに対する罪悪感をぬぐいきれないのだろうな、と察すると涙が止まりませんでした。
またイスラエルまでたどり着いたはいいが、理解ない人々からの冷たい仕打ちを受けます。
木の陰に隠れ、こっそりと靴を脱ぎ、恐る恐るはだしで地面を踏みしめる彼。
「はだしで歩きたいだろうな」
「どんな酷い生活でもお母さんと一緒に暮らしたいだろうな」
と思うと、また涙が止まらない。
劇中では少年が青年になり、大人になるまでが描かれています。
公式HP にはもっと細かいストーリーも載っていますが、ぜひ一度観てみて欲しい映画です。
全て無料で提供されているはずの援助物資が、有料となりキャンプの中で市場経済が発生し富むものとそうでないものがうまれ、そこでまた悲劇もたくさん起こっている。
そんな難民キャンプの実態も垣間見ることが出来ます。
宗教によって救われている人と、苦しめられている人のどちらが多いんだろう。
杏はお正月は神社にお葬式にはお寺さんにクリスマスだって祝うし、苦しいときは誰だかわかんないけど神様助けてーって思ってみる典型的な日本人です。
どうしようもなく辛いときに人が頑張れる支えになっているなら、信仰心というものもありだと思う。
でもそれによって苦しめられたり戦争が起きてしまうのって、とっても本末転倒で納得がいかない。
宗教なんてクソ食らえと思ってしまう。
偉そうな宗教家ぶって自分の中での差別心を消せず、またそれを当然と思っている人物も登場します。
人間なんて所詮そんなもんなんだから、偉そうに宗教語ってんじゃない。
そう思ってしまう。
どんなに偉そうな御託並べたって、結局自分のできることなんて限られているんだから、無言実行で頑張りたい。
杏はそんな感想になってしまいました。
ちなみに原題は「行きなさい。生きて、そして何かになるのです」って意味のようです。
邦題がいまいちピンとこなかったので、原題の方が好きです。
毎度同じですが、知ることから始まる映画シリーズです。
ぜひ。