誰かとお話をするとき、きちんと話をしなければいけない時もあれば、 いつもの調子でトトトー~と話をしてもいいときがある。多分、私の中にも、人の中にも、宇宙のチリほどの顔があるんじゃないかと思う。その人の言葉によって、引き出されてしまう自分がいると、心地よいなと私は思う。けれど私は議員でも先生でもないから、どんな自分を表に出すかは、私の舵の取り方ひとつ。だから、なんだか、広い海に投げ出されたボートのように、行き先は空なんじゃないかと思うほど、自由なんだなと思う。いつもいつも、こころの中で、正座して、変わることのない私っているのかな。
 携帯電話で、誰かとお話するのが、とても苦手で、必要なことを告げるのも、なんだか顔が見えないと、とても深い暗闇にいるようで向こう側が見えなくて落ち着かない。ちなみに、身振り手振りがすごくて、常に動きながら話をしています。
 どれだけ、私は、存在に頼っているんだろうと思う。相手と自分のコミニケーションで、約90%を存在で満たしてるんじゃないかと、思う。会えばそれで、すべてがわかる…と。言葉は気持ちの上澄み程度で、会話は一瞬の自分を捉えられれば、いいんだと思う。歌詞になって、メロディーに乗ったときだけ、私は苦悩して、コミュニケーションの90%を言葉で満たそうとガンバッっている。