痣者について書きます。

ネタバレあります。


















痣者は25の歳を迎える前に死ぬと言われています。

例外もありました。

継国縁壱です。

また、炭治郎の父も痣があり透き通る世界が見えていたので痣者だったのだと思います。

炭治郎の父も25歳以降も生きていたと思います。
痣の出現方法は心拍数200を超え体温39度以上と言われています。
そして寿命の前借りと言われています。
炭治郎の父は病気で亡くなっています。
心拍数を無理矢理200を超えるほど上げると心臓に負荷がかかり、寿命の前借りと言われると思いました。
継国縁壱は別次元の強さの為、通常の人の心臓とは違うような気がしました。
炭治郎の父が25歳を超えて生きていたのは頻繁に戦っていなかったことや戦国時代と明治時代の食事や医学の違いが関係しているのではないかと思います。
炭治郎の父は顔色が悪く死因は心臓の病であった可能性もあります。
寿命の前借りとあることから呪いではなく、医学的に救命出来るのではないかと思いました。

以上の理由から痣者の死因は心不全ではないかと思いました。

大正、昭和と戦国時代とは比べ物にならないほど医学が進歩しているので戦国時代は命を落としていた病気も治療方法が確立され長生き出来た人もいると思います。
義勇さんは1893〜4年2月8日生まれで
炭治郎と出会ったのが1912〜3年の年末頃で
最終決戦は1916〜7年1月頃の為、
25歳以降も生きて貰わないとほとんど生きられないことになります。
90代半ばぐらいまで生きたら平成元年(1989年)まで生きていたことになります。
私は平成生まれですので平成まで生きていたら嬉しく思います。
明治生まれの人、特に東京生まれの人は激動の時代を生き抜き、復興し、発展へ貢献してきたのだと思います。
鬼殺隊の中でも平成まで生きた人は多くの子供、孫、曾孫に囲まれ亡くなっていった人もいると思います。
鬼との戦いの中、生と死の間を生き抜いて来た人達も平和な時代を迎え、心が温かくなるような時を生きてほしいと感じました。