2017年5月、何とか繁忙期も乗り越え、あとは荷造りのみとなった私の身体は、突然動かなくなりました。
朝起きても、布団から出られない。
どんなに頑張って起きようとしても、動かない。
なんとか、娘を学校へ送り出す事は出来ましたが、仕事へは行くことが出来ませんでした。
自分の身体が、よく分からない。
明日になれば動くだろうと考えていました。
ところが、次の朝は更に悪くなってました。
何とか娘を学校へ行かせて、仕事へ行こうとしても立つ事が出来ない。
足が、浮腫んで痛くて立てないんです。
とりあえず、仕事を休んで様子を見る事にしました。
夕方、職場から大丈夫か?と電話があって、あまり変わらない事を伝えました。
私の体はどうしたんだ?と思う事も出来ないくらい、思考停止中の私。
そこへ、両親と姉が本当に久しぶりにやってきました。
状況についていけない私を見て、両親が「どうしたんだ!ひどい事になってから!」と「何で、ここまでほっとくんだ!」って、怒られました。
すぐに「病院行くぞ!」って言われ、我にかえり「もう診療時間過ぎとるから、無理だよ。明日行くよ」と伝えると、「遅過ぎる。すぐ電話して頼むから」と電話をかけてくれました。
それでも、娘も帰ってくるしとゴネる私を制し、近場の内科へ、父の運転で母に付き添われて行きました。
病院の先生は、「どうしたんだ?」と、色々調べようとしてくれてたんだけど、何でここまで浮腫んでいるのか?と、何が原因かと悩んでいる時に、私に母が、「生理はきてるのか?」と聞いてきました。
私は、そういえば、きてないなと思い、その事を伝えました。
最後にあったのはいつかと聞かれ、2016年8月くらい?と答えました。
もともと、生理不順なんです。
なので、正直あまり気にしていませんでした。
そんな、私をよそに、先生や両親は、大慌て。
急遽、エコーをすると言われて、みていた先生が一言。
「おい!なんかおるぞ!なんだこりゃ?!」
「まてまて、なんだこりゃ!?あぁ、これはたいへんだぞ」と、大慌て。
先生が、私達に「お腹の中に、赤ちゃんおると思われる。しかも、もう出てきてもおかしくないくらいの赤ちゃんが」
えぇ!!!!!!!!!!!
嘘じゃろ?!!、、。、
と、慌てる両親。
先生が、エコーを見ながら、「ここにあるのが背骨だと思われる。ここでは、これ以上は無理なので、産婦人科へ行きなさい。すぐ、紹介状書くから。」と言われ、産婦人科へ事情を説明して頼んでくださいました。
両親とお礼を言って、すぐ紹介された産婦人科へ。
すぐに診察室に入って、調べてもらったら、「うん、いるねー。こりゃ、すぐ産まないとダメだ。でも、ここでは、対応できる状態ではないので、総合病院へ連絡するから行きなさい」と言われました。
すぐに、先生が総合病院の産婦人科と連携をとってくださいました。
紹介状を持って、お礼を言い総合病院へ。
総合病院へ着き、名前をいうとすぐに看護師さんが車椅子を持ってきて、「乗って下さい」と。
訳がわからない状態で、そのまま色々な検査がスタートしました。
その間、移動は全て車椅子。
ひと通りの検査が終わり、先生が「3日後、何も異常かなかったら自然分娩で産みます。それ以降だったら、命がありません」と。
え!?
私、死ぬの?
そこまで、酷いの?
私の、身体の異常な状態の病名は、「重度妊娠中毒症」でした。
そのまま、緊急入院になりました。
点滴やら、色々な管に繋がられ、絶対安静。
唯一、トイレにだけ自力で行ける状態でしたが、あまりに近いため管を入れて、全く動く事が出来なくなりました。
次の日も、色々な検査。
その日の夜、先生から予定通り、次の日出産しますと言われました。
次の日、色々ありましたが、気をしっかり持てと怒られながら、何とか出産する事が出来ました。
約2400gの、女の子でした。
続く。
朝起きても、布団から出られない。
どんなに頑張って起きようとしても、動かない。
なんとか、娘を学校へ送り出す事は出来ましたが、仕事へは行くことが出来ませんでした。
自分の身体が、よく分からない。
明日になれば動くだろうと考えていました。
ところが、次の朝は更に悪くなってました。
何とか娘を学校へ行かせて、仕事へ行こうとしても立つ事が出来ない。
足が、浮腫んで痛くて立てないんです。
とりあえず、仕事を休んで様子を見る事にしました。
夕方、職場から大丈夫か?と電話があって、あまり変わらない事を伝えました。
私の体はどうしたんだ?と思う事も出来ないくらい、思考停止中の私。
そこへ、両親と姉が本当に久しぶりにやってきました。
状況についていけない私を見て、両親が「どうしたんだ!ひどい事になってから!」と「何で、ここまでほっとくんだ!」って、怒られました。
すぐに「病院行くぞ!」って言われ、我にかえり「もう診療時間過ぎとるから、無理だよ。明日行くよ」と伝えると、「遅過ぎる。すぐ電話して頼むから」と電話をかけてくれました。
それでも、娘も帰ってくるしとゴネる私を制し、近場の内科へ、父の運転で母に付き添われて行きました。
病院の先生は、「どうしたんだ?」と、色々調べようとしてくれてたんだけど、何でここまで浮腫んでいるのか?と、何が原因かと悩んでいる時に、私に母が、「生理はきてるのか?」と聞いてきました。
私は、そういえば、きてないなと思い、その事を伝えました。
最後にあったのはいつかと聞かれ、2016年8月くらい?と答えました。
もともと、生理不順なんです。
なので、正直あまり気にしていませんでした。
そんな、私をよそに、先生や両親は、大慌て。
急遽、エコーをすると言われて、みていた先生が一言。
「おい!なんかおるぞ!なんだこりゃ?!」
「まてまて、なんだこりゃ!?あぁ、これはたいへんだぞ」と、大慌て。
先生が、私達に「お腹の中に、赤ちゃんおると思われる。しかも、もう出てきてもおかしくないくらいの赤ちゃんが」
えぇ!!!!!!!!!!!
嘘じゃろ?!!、、。、
と、慌てる両親。
先生が、エコーを見ながら、「ここにあるのが背骨だと思われる。ここでは、これ以上は無理なので、産婦人科へ行きなさい。すぐ、紹介状書くから。」と言われ、産婦人科へ事情を説明して頼んでくださいました。
両親とお礼を言って、すぐ紹介された産婦人科へ。
すぐに診察室に入って、調べてもらったら、「うん、いるねー。こりゃ、すぐ産まないとダメだ。でも、ここでは、対応できる状態ではないので、総合病院へ連絡するから行きなさい」と言われました。
すぐに、先生が総合病院の産婦人科と連携をとってくださいました。
紹介状を持って、お礼を言い総合病院へ。
総合病院へ着き、名前をいうとすぐに看護師さんが車椅子を持ってきて、「乗って下さい」と。
訳がわからない状態で、そのまま色々な検査がスタートしました。
その間、移動は全て車椅子。
ひと通りの検査が終わり、先生が「3日後、何も異常かなかったら自然分娩で産みます。それ以降だったら、命がありません」と。
え!?
私、死ぬの?
そこまで、酷いの?
私の、身体の異常な状態の病名は、「重度妊娠中毒症」でした。
そのまま、緊急入院になりました。
点滴やら、色々な管に繋がられ、絶対安静。
唯一、トイレにだけ自力で行ける状態でしたが、あまりに近いため管を入れて、全く動く事が出来なくなりました。
次の日も、色々な検査。
その日の夜、先生から予定通り、次の日出産しますと言われました。
次の日、色々ありましたが、気をしっかり持てと怒られながら、何とか出産する事が出来ました。
約2400gの、女の子でした。
続く。