2月10日 (作品展 5日後)



朝、まずまず小康状態のように見える。


看護師さんが教えてくださった


「普通、呼吸数は1分間15回くらい。それが最期はだんだん1分間の呼吸数が減ります」。

「肝機能・腎機能が非常に落ちている。尿が出ていない=尿によるカリウムの体外排泄が正常に行われていない。→カリウムは心停止を引き起こす」


なるほど・・・。

夫は母の呼吸数をしばしば計測している。すると、前夜から早朝は1分間に11回。。。それが8時ころには14~5回に一見、上がった・・・

乱れることなく、ずっと規則正しい。


心拍も上がり、

血圧も、8日には上が60~70(コロトコフ音が聴診できずとう骨動脈の触診で)と、とても低かったのが、

上が90くらい、下が50くらいと、一見普段通りまで上昇・・・


私は感じていた。これは心臓が異常に頑張っている状態で、ということは、早晩オーバーワークになるなぁと。夫も同感だと・・・。




7時頃から、母宅に寝に帰っている兄や兄嫁さんから、母の具合を尋ねるメールが入る。

きっと、小康状態なら、会社に行こうか…と迷っているに違いない。


実は私は、昨日も一昨日も、もう母の傍に兄たちも離れず付いていてほしかった・・・。

でも、まだ数日持つなら、じっと付いているばかりも必要ないかも・・・。


兄のメールにどう返事をしようか・・・と、悩んで、看護師さんに

「まあまあの状態」と書いていいかしら?と、問うと、

看護師さんは「そう書くと少し油断しそうだから、付いていてと書く方がいいと思う」と。


兄は8時ころ病室に現れた。ネクタイを締めているのであれっ?と思ったが、聞くと

「会社は休むことにした」とのことで、ほっと一安心・・・。


兄嫁さんは母宅に掃除機を掛けてから、一足後で来るという。


母の呼吸等は順調で変わりなく、一見小康状態っぽい感じ・・・。

兄と夫と私とのんびりした雰囲気だった。


私もお気楽に(8時から洗濯室が使えるので)、洗濯しに行ったりしていた。


が・・・・

8:45ころだったろうか・・・・

なんか変・・・・・・


急に呼吸が弱くなり、体温が冷たくなってきたような・・・


兄が慌てて兄嫁さんに「早く来い!」とメール・・・。

(兄嫁さんはバスに乗っていて、もう病院の間近まで来ていたらしい)


看護師さんが、夜勤の人から日勤の人に交代。

あっ今日の担当者は、また、キュンちゃん(←母の名付けたニックネーム)とは・・・。

濃厚な時はどうしても、キュンちゃんに当たってしまう運命らしい(7日の急変時も当たった看護師さん)。



9時ころ兄嫁さんが病室に到着して、兄夫婦と私夫婦の4人が揃った・・…

兄嫁さんも「おかあさん、ありがとうございました・・・」と声を掛けている・・・

直後に

母が最期の呼吸をして、もう次の息をすることはなかった・・・。

兄嫁さんが来るのを、待っていたんだろうな(兄嫁さんに後々後悔させるのを避けるため・・・・)と、思う。


全く苦しまず、眠ったまま静かなあっけないほどあっさりとした旅立ちだった・・・・。


しばらく、母を家族4人で囲んで過ごし、

「では、先生を呼びましょうね」と言って下さって、

先生が来られ脈がないのを確認され「ご臨終です」と・・・。時間はその時、9:19だった。


後から考えてみれば、母は一度もおもらしをしなかった。

7日意識不明になる直前まで、自分の足でトイレに行き便も尿も全てを排泄し、

その後は腎不全だったわけで・・・。

これって、結構すごい!!と思う




キュンちゃんに「一緒になさいませんか?」と言っていただいたので、

兄嫁と私も一緒に母のエンゼルケアを、した。

洗髪し、体を丁寧に拭いた。

病室に置いてあった、母が用意した旅立ちの和服を、3人で着せた。

帯もちゃんと結んだ(母に言われていた通り半幅帯の前部分に帯締めを縫いつけることを、急変した日、

病室で私がやっていた。その時もキュンちゃんが担当して下さった・・・)。

お顔は熱いタオルで温め、充分に化粧水や乳液でお肌を潤わせた後、丁寧にお化粧した。

おぉ~~・・・きれい・・・。このところお化粧してなかったので、久しぶりに女性っぽくなってよかったね♪



思えばたった17日間の入院だったが、とてもそんな短さとは思えない密度の濃い17日間だった。

看護師長さんから、

「お母様は印象深い方で、私たちにとってもお母様の最期の期間のお世話をさせていただいたことは誇りです」というようなことを言っていただいて、その言葉はとても嬉しかった。

末期癌の方ばかりの病棟で毎日のように繰り返される光景だろうが、

「大勢の日常茶飯事」として扱うのではなく、母を個人として感じてくださったということが、本当に嬉しかった。




時間のゆとりを見て、ゆっくり葬儀社に来てもらって、

白い布に覆われて、ストレッチャーで、

(裏口からでも出るのかな?と思っていたが)

病院の表玄関から、先生はじめ看護師さん皆さんにお見送りをしていただいて、

家に帰った。

ボランティアさんから、花束ブーケ1も添えていただいた。



荷物を片づけていて気付いたが、

2月5日展示会後、芳名録の余白ページに


「冬雲の 真綿の中に 睡りたし」


と母の達筆な字で残していた。

これが、まさしく、辞世の句と なりました・・・・。