2月7日夜


ろれつが回らなかったり、焦点の定まらない目をしたりするときもあるものの

まずまず元に戻る時もあり、

大きく波が上下する状態で迎えた7日夕方~夜・・・。


先生の説明は、あまり緊迫したものでもない雰囲気だった。


私は関東に戻る予定を延ばして母の病室泊まることにした。

兄嫁は元々この日は実家(病院までバス電車で50分、タクシーで30~40分)に泊まる予定だった。

会社の終わった兄に連絡は取ったものの、病院に来ず自宅(病院までバス電車でも車でも2時間)に帰ってもらうことにした。


母は一旦、ややおかしい・・程度の状態で、トイレにばかり行きたがった。

便が出そう~と言うのだが、トイレに行っても実際は何も出ず、

ベッド横に家具調椅子のポータブルを置いてくださって、それを使ったが

ベッドから降りて便座に座ることに体力を消耗しへとへとになっていた。


それでも看護師さん(数日前、母が名づけたニックネーム「キュンちゃん」)相手に

遺言めいたことなどいっぱいお喋りをしていて、まともに話が出来ていた。

便座に座るのに、抱きかかえて支えて下さるキュンちゃんに、「キスマーク付けちゃいそうだわ」などジョークも言って周辺を笑わせていた。

パジャマのズボンのゴムがきついと言うので

(実際には母の腹部は痩せていてゆるゆるなのだが・・・)、

もっとぶかぶかのLサイズのパジャマズボンに履かせ換えた。

(その後夜中にも、一度、「細いゴムを見つけて交換して・・・・」とつぶやいた・・・)


(↑のちに次女に話したら、「ウエストのゴムがきつい・・と言う末期の方をしばしば経験するわ」と、言っていた。不思議・・・)



先ほど先生はあまり緊迫した雰囲気ではなかったが、

何となく重篤な事態に進みそうな予感がして、看護師さんのアドバイスもあり、

兄夫婦、私の3人とも、病院に泊まることにした。


キュンちゃんと、母の会話・・・

母の言葉はもう途切れ途切れでろれつも回っていなかったが、それでも、うなづいたりでなんとか返事も聞きとれた・・・。


看「今日逝くの?」

母「まだ・・・」

看「周りの人が気付かない時に、独りで逝ってしまわないでね」

母「わかった・・・」

看「死ぬの怖くない?」

母「怖くない・・・」

看「最後まで痛みが無いようにちゃんとケアするからね。大丈夫なようにするの約束するからね」

母「うん・・・」うなずく


一旦会社から帰宅していた兄も、再び家を出て病院にたどり着いた。


ここには2部屋家族室があり、和室にお布団(貸し出しがある)を敷いて兄夫婦は泊まった。

私は病室のソファーベッドで寝た。


一緒の部屋では寝たが、

母の意識は朦朧としてほとんどわかっていないようだ。


ただ、お風呂上りの私を見たとき。

「シャンプーしたんやね・・・」みたいなことを

言った様な気がした(実際シャンプーをした頭だった)。


それと夢を見ていた寝言のように、

「Yちゃん、ええ子やなあ、素朴そうや」・・・と。

Yちゃん(60代後半?)とは、母の姉の長男で、2日前、伯母を展示会に連れてきてくれた私のいとこである。


焦点の合わない目を向けることがあったくらいで、

ほとんど何もわからなくなっていった