母が亡くなって9年。

離婚した翌年に母の癌が見つかり、1年の闘病であっという間に亡くなってしまった。

私自身、精神的な病気が1番酷かった時期。

躁鬱、パニック障害、強迫性障害。

離婚して病状が酷なり、何種類も沢山の服薬をしていて、副作用なのかほとんど眠っている日々。

正月休みから病院が診察を始めた初日。

夕方に携帯電話に母からかかってきた。

入院することになったこと。
去年の年末にトイレで出血をしたこと。
年末年始の休みで医療機関が休みだったので、年明けすぐに受診したこと。

受診した病院で癌が見つかったので、すぐに大きな病院に紹介状を持ってその日のうちに入院することになったこと。

私が子供の頃に風邪で寝込むことも1度もなかった母が癌。

ずっと健康だと思っていた。

翌日、検査をするので主治医の先生からの話を一緒に聞いて欲しいとのこと。

胃と直腸に癌が見つかりましたと。

ショック過ぎて、ステージは?と質問することが精一杯だったこと。

もっと専門的な大きな病院に転院する必要があり、すぐにでも転院する必要があるとのこと。


父は家を売ってどんなにお金がかかってもいい。
治したいと。

母を個室の病室にし、父は毎日、毎晩泊まり母に寄り添った。

手術もできない状態で、抗がん剤と放射線治療。

先が長くないのは私にはわかっていた。

抗がん剤も放射線治療もほとんど効果はなく、4ヶ月の入院で自宅に帰ることになった。

その後は訪問看護師さんが週に2回やって来てくれて母の様子を見てくれる。

痛みに耐える母を見て、辛くて目を背けたくも何度もなった。

1番辛いのは母なのに。

私は親不孝しかできず、何もしてあげれない。

時々行って話し相手になることしかできない。

月に1度の通院に付き添うこと、車椅子を押してあげること。

何をしていいかがわからないまま、時間だけが流れ癌が見つかってから1年後のお正月、体調が悪化してまた入院することになった。

お腹に水が溜まり、眠ることが多くなった。
別人のように痩せてしまって。

もう家に帰ることはないだろうという予感がした。

主治医からは後1ヶ月くらいでしょうと。

緩和ケア病棟に空きが出たら移りましょうと。

それほど待つことなく緩和ケア病棟に移動になった。

眠り続けるようになり、問い掛けにも答えることが少なくなって。

眠ったまま、永遠の眠りについてしまった。
70歳の誕生日を迎えられなかった。

痛みはなくなっはず、病気から解放されたんだろうと。自分の気持ちを整理するしかなかった。

母が入院して、1度も休むことなく父は病院に通い続け、再入院してからは毎晩泊まっていた。

永遠の別れがどれだけ辛かったんだろう。
私には想像もできない程、ふたりの絆は強く愛があったのは事実。

母は少し早い旅立ちだったけど、懸命に愛を注ぐ父に充分、満足できたんじゃないかな。

父は庭の椅子に腰掛け、空を眺める日が続いた。

置いていかれてしまった父も辛いだろうけど。
残していく母も、病気に耐えながらも、気がかりで怖くて仕方なかったに違いない。

なるようになるから。

困った時はいつもそう言っていた。

何してたの?ってかかってこない電話。

今日こんなことがあったよ。

電話をかけようとして、いないことにハッと気がつく。

私が死ぬ時は誰がいてくれるんだろう。

暖かい布団の中で最期を迎えられるだろうか。

どんな形が人間にとって幸せなんだろう。

振り返った人生が満たされていれば?

生まれ変われるとわかっているなら?

豊かな人間関係に囲まれて?

死ぬときまで私は何もないんだろうな。

残念すぎる。