私は棄教しながら、いろいろ生き方・考え方が変化した部分が多いと思っている。
棄教の衝撃が大きかっただけに、必然的に自ら変化せざるを得なかったのだと思う。その変わったことの一つとして、「目標」の捉え方というのがある。
昔は「目標」というと、それは静止したターゲットであった。それは必ず達成されなければならない「義務」であり、もし達成できなければ「失敗」であった。
もし妻を愛するとか、子供を真っ当に育てるとかいう家庭の目標を立てるとしたならば、それは「義務」になってしまっていた。そういう意味で、かつての私には愛することも義務であった。
しかし、今は「目標」は、動くターゲットとなった。目標はそれをやりたいから立てるのであり、もしやりたくなくなれば撤回すれば良いのである。
さらに言えば、「目標」は、それが達成できるかわからないからこそ目標なのである。もしそれが達成できなかったとしても、そこから何か人生の糧を得れば良い。
今、私は、いったんは崩壊しかかった私の家族を立て直すという目標を立てているが、それが達成できるかなどはわからない。でも仮に達成できなかったとしても、そこから人生の糧を得られるであろうという、楽観的な考えを持っている。
やろうとすることをやらずに終えるよりは、
やって失敗した方がまだマシである。
まもなく年末なので、考えることが多い。思うところをそのまま綴っている。
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