『反日種族主義』を読む①~李承晩大統領の独立精神と自由論~ | 波立つ海に沈みゆく月 ~旧統一教会さよならブログ~

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統一教会は、だいぶ前から衰退している。二世の未来は全体として明るくない。
これに最後に責任を持つのは、本人と社会だと思ふ。(しばらくブログの本説明文をいじります)

書籍『反日種族主義』(2019年、李栄薫[編著])は、韓国の学識者らによって執筆された、のはびこる韓国社会への強烈な学術的批判書であって、その内容は統一教会の組織文化への批判としても有効であるように思われる。


そこで、このブログでは『反日種族主義』を読み、印象に残った内容を紹介していきたい。それで韓国社会の実像を知れば、少しは統一教会の実像も理解できる、のかも知れない…。


 

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まず、『反日種族主義』についての第1回の記事としては、韓国の初代大統領である李承晩に触れざるを得ないであろう。というのも『反日種族主義』は、李承晩学堂によって企画され刊行された書籍である。李承晩学堂は、李栄薫氏がソウル大の教授職を定年退職した2017年に設立した機構であり(公式韓国語ホームページのリンク)、一般市民を対象として、李承晩大統領の建国精神に立脚した数々の講演や動画配信を行ってきた。

 

日本人にとって李承晩大統領といえば、彼の反日政策などの影響で評判がよくないが、韓国国内でも正当な評価がされていないのだと李栄薫氏は言う。このため、李承晩大統領の理念と業績の再評価が必要だというのである。

 

つまり、李栄薫氏は、現在の韓国社会に嘘がはびこる病巣を『反日種族主義』という言葉で批判する一方で、韓国社会の亡国の予感を拭い去るために拠り所とすべきは建国の父・李承晩大統領の自由精神だというのである。そして、その精神は、李承晩が1904年に獄中で著した『独立精神』の「自由論」に現れているという(『反日種族主義』エピローグ参照)

 

そして、この李承晩の自由精神は、そっくりそのまま、統一教会への批判ともなりうる内容であった。



李承晩の晩年の姿


 

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ここで、李承晩の「自由精神」の内容を紹介する前に、李承晩という人物について簡単におさらいしておきたい。

 

李承晩は、1875年に、現在の北朝鮮の南端に位置する開城近郊で生まれた。1896年、大学生であった彼は、開化派(開国主義者)として独立協会の結成に参加し、翌年、そうした活動により投獄されて、1897年からの約7年間、ソウルで獄中生活を送っていた(詳細はwiki参照)。

 

その獄中で彼は西洋の書籍を読みふけり、西洋の自由の概念を理解して、1904年、滅びゆく祖国の現状を憂いて『独立精神』を著したのだという。

 

李承晩は、その後釈放されるとアメリカに渡り、1945年の終戦後に朝鮮半島に戻るまでの大半の期間をアメリカまたはハワイで過ごした。1948年に、アメリカの支持を受けて韓国の初代大統領になったが、彼の政権の特徴は、反共・反日・親米・独裁・キリスト教信徒といった言葉に代表されると言えよう。

 

米国とソ連による朝鮮半島の南北分割統治という状況の中で、反共主義者であった彼は、韓国のみの独立を主張した。当時、南北赤化の可能性もあった現実の中で、自由人の国としての韓国を建国できたのは、李承晩がいなかったら難しかったであろうと李栄薫氏は言う。

 

そしてその建国の精神こそが、1904年の著書『独立精神』における「自由論」であったと言うのである。その内容を以下に引用する。

 

神は人間を尊い存在として創造されました。他人に頼らずに自分の力で生きて行き、世の中で貴重な役立つ存在になるように、という神の証明を実践する人が自由人です。自由とはこのような存在感覚を言います。自由人が自然に働きかけ生産した財物は、国家も勝手に奪って行くことができない彼の権利です。

(中略)

このような自由が花開いた所が、宗教改革以後の西洋でした。西洋人は地球が丸いということを知り、五大洋・六大州を駆け巡り、通商しました。これが今日、西洋が全ての面で東洋を圧倒した原因です。将来世界は通商を通して一つになるでしょう。多様な人種が自由な世界家族として統合されるでしょう。戦争がなくなり、永久の平和が訪れるでしょう。これは、どの国も逆らうことのできない神の摂理です。私のものが一番だと言って門戸を閉ざし、自らの国民を奴隷として使役し、外の世界との交渉を拒否する国と人種は、消滅するでしょう。

(『反日種族主義』、李栄薫[編著]、p.331~332)

 


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韓国を建国する40数年も昔に、李承晩が理解した自由論とは、個人の自由と、生産活動と、財産権の保護と、通商と、学問・競争・文明開化と、そして世界の平和といった言葉に代表されるものであった。そして、当時よりキリスト教者であった彼は、そうした自由の実現が「神の摂理」であるのだと言っている。

 

この「神の摂理」という言葉。統一教会信徒であれば、その教理によりこの言葉を別の意味に解釈するであろうが、李承晩にとって、韓国の建国精神としての「神の摂理」とは自由の精神であったという話である。しかし、李承晩が下野した後は、もはや韓国には自由の精神を継承する者が誰もいなかったのだと李栄薫氏は言う。

 


この記事の最後に、李承晩の自由論から、彼の言葉をもう一度引用して記事を締めたい。

 

私のものが一番だと言って門戸を閉ざし、自らの国民を奴隷として使役し、外の世界との交渉を拒否する国と人種は、消滅するでしょう。

 

この言葉は、李承晩が1904年当時の朝鮮半島の惨状に向けて言った批判であったが、この言葉はそのまま、李承晩の自由の精神に逆行する現代韓国への批判となり、さらには、統一教会の組織文化への批判になりうる、と思う。

 

李承晩が自由論で説いた個人の自由と財産権の保護。そうした自由の精神は、統一教会の教理では“アベル型人生観”と名付けられていたはずと記憶している。そしてそれを継承して生まれたのが韓国と統一教会である、という教理であったと思う。

 

しかし、統一教会の組織文化は、わたしの経験によれば、個人の自由と財産権を否定する傾向にあった。教理では自由を掲げながら、現実には信徒の自由を否定する、こうしたことにわたしは統一教会の一つの嘘を見出すのである。


そして、李承晩の言葉を借りれば、そんな宗教は消滅するでしょう、となるのである。

 

次回の記事へ続く。

 


最後に、統一教会はアベル的人生観の継承者ではなかったと思った方は、以下を納得クリック!

 

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