統一教会とはいかなる存在だったのか 〜その現状は李朝の末期に似ている〜 | 波立つ海に沈みゆく月 ~旧統一教会さよならブログ~

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統一教会は、だいぶ前から衰退している。二世の未来は全体として明るくない。
これに最後に責任を持つのは、本人と社会だと思ふ。(しばらくブログの本説明文をいじります)

どうも、うすワサビです。
 
『朝鮮半島とはいかなる存在だったのか』(拓殖大学学長 渡辺利夫、2007年)という論文(リンク)があります。その内容を読んでみたところ、李氏朝鮮(1392年〜1910年)の末期は、現在の統一教会の状況に似ていると思われることが一つや二つではありませんでした。
 
本記事は、ほとんどがその論文の内容紹介であり、最後に少しだけ私の感想を書いています。
 
論文への感想がある方は、コメント欄までぜひお願いします。
 
 
李朝は中央集権体制であった
  • 朝鮮国内は全土が官僚主義に色濃く染まっている(p.5)
  • 朝鮮の高級官僚は両班といわれ、...儒教の知識に秀でた文官が官僚機構の中枢に位置した(p.5)
  • 中央から派遣された官僚が支配者となり、彼らが統治の任に当たった(p.6)
 
組織が衰退しても、既得権だけは安泰であった
  • 政府が急速に衰退しても、被支配層を食いものにする権利だけは存続する(p.5)
 
血族を中心に社会が分化した
  • 中央集権が極度に追求されたために、多様な利益集団や社会集団の形成が阻まれ、唯一残された集団凝集原理である血族に社会が「分化」していった(p.6)
  • 有力な血族集団が頂点を目指して競い合い、その競合の過程で生じた血族間の闘争は凄まじく、李朝史は血族構想史として描くことさえ不可能ではない(p.6)
 
統治の理念があり、正統派の論争に明け暮れていた
  • 権力闘争の手段は武力ではなく理論であった。儒学の解釈をめぐり、みずからを正統とし他を異端として抹殺しようというイデオロギー闘争であった(p.6)
 
中間層が欠落した支配層と被支配層の二極構造であった
  • 朝鮮社会は、基本的に、あらゆる権利を持つ支配層とあらゆる義務を背負わされた被支配層との二極社会であった(p.7)
 
 
以下、うすワサビの若干の感想を、述べる。
 
その昔、日本は脱亜論を主張しながら、明治維新により東洋的な悪癖と離別することを宣言した。歴史は繰り返すという。日本人が過去に一度できたことは、(日本人食口にも)もう一度できるであろう。
 
次に、現代社会を生きる韓国人たちは、当然、自国の歴史を肌に染みてわかっているため、統一教会を信仰したからといって、両班階級(支配層)になることを好み、自ら被支配層になるような極端なことは本能的に退けるであろう。日本人食口が擬似被支配層としての義務ばかりを負わされるのは違和感しかない。