統一教会の信者は何らかの問題を抱えているという一般論の空虚さについて | 波立つ海に沈みゆく月 ~旧統一教会さよならブログ~

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統一教会は、だいぶ前から衰退している。二世の未来は全体として明るくない。
これに最後に責任を持つのは、本人と社会だと思ふ。(しばらくブログの本説明文をいじります)

この社会の一般常識から見れば、統一教会とはザ・カルト宗教。いや言いすぎた、ある国で生まれた一つのカルト宗教である。

そして、そんな宗教に入る者と言ったら、精神的に何らかの問題を抱えている者

それは、ある意味では正論に思えるが、あまりに正論すぎる論には、落とし穴があるものだ。正論だから正しいと受け入れてしまうと、それ以上、論が発展しなくなる。つまり、正論を受け入れた者の考え方が固まり、考えが深まっていかなくなる危険性があるのである。

統一教会に入る者はコミュニケーション能力を欠いているという論も、これに漏れない。そんな正論には落とし穴があるやもしれない。

それは、どういうことだろうか。

何らかの問題を抱える者が統一教会に入教しやすい(または信じやすい)と論じるのは論じやすい内容だと思う。しかし、そこから、統一教会の信者は何らかの問題を抱えているという一般論を展開させるのは、論理が飛躍するのである。

それは、そう。一言で言うならば、両者は別問題なのである。

前者は人間個人ひとりひとりの問題なのであり、後者は統一教会という宗教組織の問題なのである。両者の問題は密接に関連しているが、扱っているテーマが異なっている。

信者または元信者という個々人が精神的・肉体的・経済的・社会的に健全か云々を考えるのであれば、前者の問題を優先して論じるべきだと思う。

そんなことを強く思うのである。