8.18政変の日の天誅(忠)組記念館での輪読会 | 天忠宿のコゲ亭主

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昨日は、文久3年8月18日に、

尊王攘夷派であった三条実美達七卿が、薩摩・会津の公武合体派によって

京の都を追われた日です。

平成26年の同じ日に、天誅(忠)組記念館藤井寺展で

毎月恒例の輪読会が行われました。

文久3年(1863)は、尊王攘夷運動が最大にして最後の盛り上がりを見せた

年でした。

時の孝明天皇は、3月11日上・下加茂神社に

4月11日には男山の石清水八幡宮に攘夷祈願の行幸を行われます。

そして8月13日に、大和行幸の詔が発せられるのです。

後に天忠組といわれるようになる中山忠光卿を主将とした一団は、

「皇軍御先鋒隊」として8月17日に大和五條の代官所を襲撃し、

「御政府」の看板を本陣にしていた桜井寺の門に掲げます。

しかし京都では、薩摩藩・会津藩を中心とした公武合体派が、

長州藩を中心とした尊王攘夷派を都から一掃する計画を画策し、」

8月18日薩摩・会津の藩兵が御所九門の警備を固め、

尊王攘夷の急進的公卿であった三条実美達を京都から追放するのです。

世に言われる七卿落ちです。

この政変によって皇軍御先鋒隊として五條代官所を襲った天忠組は、

一夜にして賊軍となってしまい、五條から敗走することになってしまうという

天忠組にとってはターニングポイントになる日であったのです。

草莽の会の会員が集まった輪読会で、
天忠組に関係する日に『幕末・維新のしくみ』を読み終えることができました。
七卿落ちの掛け軸はよく出回っているそうですが、

扇子に書かれたものは貴重なものだそうです。

藤井寺小山にある天誅(忠)組記念館には、天忠組や幕末に関する

いろいろなものが展示されていますので、

一度立ち寄られるのもいいかなと思いますよ。