束明神古墳 草壁皇子の墓との伝承が | 天忠宿のコゲ亭主

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岡宮天皇真弓ヶ陵を後にして束明神塚古墳へ向かいます。

岡宮天皇陵から更に100mほど集落の道を登っていくと

春日神社の階段が見えてきます。

春日神社の階段を上っていく途中に

石柱がたっていましたがその側面には敬神愛国の文字が刻まれていました。

奈良の春日大社を総社として全国に数多く鎮座されている春日神社。

本殿は古く損傷を避けるために屋根に覆われていました。

その拝殿に接するようにして小さな塚があります。

それが束明神古墳です。

昭和59年(1984)から2回発掘調査が行われて、

対角線の長さが30mの8角形墳であることが判明しました。

橿原考古学研究所付属博物館の庭にある石槨のレプリカです。

束明神古墳は何回も盗掘にあい、副葬品は何も残っていなかったそうですが

わずかに漆塗木棺に使用された漆膜片と鉄釘、

金銅製棺飾り金具が見つかりました。

これらの遺物から、高松塚古墳に似た棺が埋葬されていたと推定されました。
その他に、発掘調査では歯牙6本が検出されていますが
28歳の若さで薨去された草壁皇子の年齢に合うそうです。
幕末にはこの古墳が草壁皇子の陵墓と比定される(ひょっとして伴林光平か)という話が伝わり、陵墓指定のために土地を奪われることを恐れた地元の人が
意図的に隠したという話も残っているそうです。
近くにある牽牛子(けんごし)塚古墳(斉明天皇陵説がある)も八角墳です。
(ちなみに私が勤務していた奈良文化女子短大付属高校の校章は
この牽牛子塚古墳の形を模したものでした)
道鏡では八方位は宇宙を象徴するものであり、
その中心にある北極星は天皇大帝という
宇宙の最高神になります。
斉明天皇や天武天皇は道教を好んだと言われていますので、
この束明神古墳が草壁皇子の御陵である可能性が高いのではないでしょうか