けまり祭 in 談山神社 | 天忠宿のコゲ亭主

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談山(たんざん)神社で斎行された「けまり祭」に列席してきました。

日本会議奈良 大和支部の一員として招待を受け

桜井市から山の中に入り談山神社に到着し受付をすませます。
定刻になると楼門をくぐり総社拝殿に向い本殿に正対し著座して


祭祀の始まるのを待ちます。

当日の天気予報は大雨の注意が出されていましたが

幸いにも祭祀が始まるころには雨も小降りになってきます。

本殿にはもみじの枝にはさまれた毬や神饌が供えられています。

斎主一拝から始まり献饌、祝詞奏上と祭祀は進んでいきます。

談山神社のご祭神藤原鎌足公は、蹴鞠を通じて、

中大兄皇子と水魚の交わりを結ぶこととなり、

やがて多武峯の談山(かたらいやま)で中大兄皇子と

「大化の改新」を談じ合うきっかけとなりました。

この29日に行われる「春のけまり祭」はその故事にちなみ、

御神霊をお慰めするために斎行されるものだそうです。

雨は小降りになってはいたのですが、

山中で気温の低い中、時折強い風が拝殿を吹き抜ける寒い中で

玉串奉奠が行われた後、撤饌、宮司一拝で祭祀は終了しました。

本殿での「けまり祭」が終わったのち、けまりが行われるところに移動します。けまりは600年代、仏教とともに日本に渡来してきました。

そして日本独自の発達をとげ、

平安時代には貴族の間で親しまれるようになります。

本来けまりは、懸(かかり)または毬壺と呼ばれる、

四隅を元木(毬を蹴り上げる高さの標準となる木)で囲まれた三間ほどの

広場で実施されます。
昨日は雨天だったためにやむを得ずテント内で行われました。


直径7~8寸の鹿の滑皮(ぬめかわ)2枚をつなぎあわせた毬(その中には空気が入っているだけと談山神社蹴鞠工房の藤田さんからお聞きしました)を

六人の人達で蹴り上げていきます。

夏安林(アリ)、春陽花(ヤウ)、桃園(オウ)という掛け声をあげながら

毬を蹴り上げていきます。天気の日であれば八人の人で行われるのですが、
テント内のため六人の毬足(蹴鞠を行う人)で蹴り上げていきます。


毬は当日の天候や気温、湿気などのよって上がり方が違うようです。

場外に出て濡れるたびに丁寧のきれで水分をとっておられました。

雨が降っていたのは残念でしたが、

談山神社のけまりを見ることができて、長年の念願を叶えることができました。