以前、と言っても10年ぐらいほど前のことになりますが、一緒に働いていた同僚とのことです。
その同僚とは、最初から仲が良かったわけではありません。
むしろ、最初の頃は、私はその人から敵対するような空気を感じていました。
なぜそうだったのか、今となっては細かなことまでは覚えていません。
けれど、なんとなく距離がある。
言葉にしなくても、こちらに向けられているものが伝わってくる。
そんな関係でした。
それでも、一緒に働き、お昼を一緒に食べる時間を重ねるうちに、少しずつ打ち解けていきました。
話をすることも増え、最初の頃に感じていた緊張感も、だんだん薄れていきました。
けれど、正直に言うと・・・
普通に話せるようにはなったけれど、心の奥まで分かり合えるような関係ではなかったように思います。
お昼休みになると、私たちはいつも社員食堂でご飯を食べていました。
ある日のこと。
いつものように向かい合って食事をしていたのですが、ふと同僚の顔を見た瞬間、私は思わず目を疑いました。
そこにいる同僚の顔の上に、もうひとつの顔が重なって見えたのです。
それは・・・蛇の顔でした。
同僚の顔が蛇に変わった、という感じではありません。
同僚の顔はちゃんとそのまま見えている。
その上に、薄い膜のように蛇の顔が重なっているのです。
蛇の顔が透けていて、その奥に同僚の顔が見えている。
「え……?」私は驚きました。
何かの見間違いなのかもしれない。疲れていたのかもしれない。
そう思って、もう一度見てみました。けれど、やはりそう見えるのです。
もちろん、相手には何も言いませんでした。
食事をしながら、「今のは何だったんだろう……」
と、頭の中はそのことでいっぱいでした。
気のせいなのかな。私の思い込みなのかな。
それとも、氣を感じ取ったということなのかな。
気になった私は、後から気功の師匠のところの秘書の方に聞いてみました。
すると、「気のせいではないですよ」そう言われたのです。
その言葉を聞いたとき、私はとても驚きました。
自分が見たものを、どう受け取ればいいのか。当時の私は、まだよく分かっていませんでした。
ただ、この出来事をきっかけに、人には、目で見えている姿だけではないものがあるのかもしれない。
そんなことを、少しずつ感じるようになっていったのです。
私たちは普段、人を見るとき、顔つきや表情、話し方、服装、その人の言葉、目に見えるものや耳で聞こえるものを通して、その人を理解しようとします。
けれど、「氣」というものを意識してみると、もう少し違ったものを感じることがあります
その人の持っている雰囲気。その場に流れている空気。言葉にはなっていない感情。
そして、自分自身がその人から受け取っている感覚。
それらもまた、その人を知るためのひとつの手がかりなのかもしれません。
ここで大切なのは、見えたものを、そのまま「その人の本質」だと決めつけないこと。
そう思うのです。
氣を感じることと、人を判断することは別です。
そのとき何を感じたのか。
なぜそう感じたのか。
自分の心はどんな状態だったのか。
そうしたことを静かに観察していく。
私は、そこに「氣を読む」ということの大切さがあるように思います。
あの日、社員食堂で見えた蛇の顔。
あれが何を意味していたのか、今でも私は断定することはできません。
けれど、あの不思議な体験は、
「目に見えているものだけが、すべてではない」
ということを、私に教えてくれた出来事のひとつです。
そして今振り返ると、自分の中に生まれた小さな感覚を、静かに感じてみることなのかもしれません。
あの日の私は、ただ驚いていました。
けれど今は、「あのとき、私は何を感じ取っていたのだろう」
そんなふうに、あの出来事を静かに振り返っています。
見えるものの奥にあるもの。
聞こえる言葉の奥にあるもの。
人と人との間に流れているもの。
そこに意識を向けると、日常の景色が少し違って見えてくるのかもしれません。
今日も、あなたのまわりに流れている「氣」に、そっと意識を向けてみてください。
