ずっと忘れられない人はいますか?



川上弘美さんは大好きな作家のひとり。96年、「蛇を踏む」で第115回芥川賞を受賞したことで知られています。平凡なストーリーの中に、女の性の凄みを出すのが天才的で、独特の世界観を描いています。



中でも2009年に書かれた「真鶴」では、その魅力が余すところなく作品にあらわれています。



12年前に夫に失踪された女性・京(けい)は、不在の夫を愛しながらも新しい恋人と会う日々。ある日、夫の残した手帳に書かれた「真鶴」という言葉を思い出し、真鶴に足を運びます。そして、失踪するまでの間、夫との間に何があったのかを思い出してゆきます。




マカロンのサンクチュアリ  ~ココロは東へ西へ~



人間は本当に受け入れがたい辛い苦痛が続くと、その時期の記憶がなくなることがあります。主人公の京は、まさにこの状態にある女性なのです。



そしてこの小説は、次のような書き出しで始まります。

「歩いていると、ついてくるものがあった。

まだ遠いので、女なのか、男なのか、わからない。どちらでもいい、かまわず歩きつづけた。」



この「ついてくるもの」は、日常的に京の前に現れます。この「ついてくるもの」と会話することが、物語に重要な意味をもたらします。



文芸評論家の三浦雅士氏によれば、『オデュッセイア』でオデュッセウスにはいつもアテネがついていたように、古代人は神がついてくることを望んでいたといいます。能からバレエまで舞踊の名作にみられる冥界下降譚ですが、この「真鶴」も例外ではないのです。



現実と幻想がないまぜになっていく。夫の失踪によって精神をさいなまれた京の体験は、統合失調症すなわち分裂病の病態に近いのですが、京の精神が全く病的に見えない稀有な作品といえます。かつて芥川龍之介が試みた手法ですが、川上弘美氏はそれを超越したといえるのではないでしょうか。



夫を愛するあまり、夫と愛人を目撃したことすら忘れていた京。夫の首を絞めた記憶。彼女はどうやって自分を取り戻していくのでしょうか。まるで美しいクラシック音楽をBGMに、静かに流れる映画のような作品です。




明日も素敵な一日をお過ごしください。