過去物語 Ver21 第2章 青い時代の葛藤⑨ | 今の気持ちを綴ったブログVer 2.0

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自分の心と向き合って言葉を詩に乗せて紡いでいきます

1997年3月
僕は、中学校を卒業した。
高校は運良く、自宅から近い高校に合格した為、かなり楽になる気がしていた。

それと同時に、中学生の頃自分の新聞配達のバイトをして、貯まったお金を見て、大学に行くには全然足りない事に気付いて、
しかも生活費の方も足りない為、コンビニで深夜のバイトを始めた。
勿論、これは違反行為だったが、母と一緒に説得してそこのコンビニの店長には事情を理解して貰った為、中学卒業と同時にバイトし始めたのである。

時間は連日21時から翌朝5時までで、週に6日。休みは日曜日の夜のみで、給料は18万円貰っていた。
当然、中学を卒業したばかりの僕には過酷な勤務形態で、最初の方は全くと言って良いほど勉強など出来無かった。
しかし、僕が義務教育を終えたことで、生活保護を受けていた我が家では、母の保護費が激減し、僕が少しでも多くお金を入れないと生活が成り立たない程の状況だったこともあり、頑張った。

最初は大学受験に、後ろ向きと言うか反対だった母も、余り賛同していないことには違いないけど、進学を許可してくれた事もあって僕は余計に頑張れた。

そして4月になり僕は高校へ入学した。
そこでは、今まで散々苦しめられていたイジメは無かった。
けれど多忙な毎日を送る僕には、遊ぶ時間など微塵にも取れず、それ故に話の輪に入れない。
それ以前の事で暗さを抱え込んだ僕は、クラスメイトから相手にもされず、此処からの三年間はイジメよりも辛い、「無視」と言うのを経験する事となる。

また、最初のゴールデンウィークまでは、僕の方も気合が保てていた。
毎日一人きりで張り切っていたのである。
しかし、時間が経つと共に、学校での完全孤独さに居場所が無いような気がして、次第に休みがちになってしまう。

コンビニでバイトしている事は、先生には内緒にしていた為、先生から見ると
勉強は出来るけど、休みがちの奴
というレッテルを貼られていた。
その為、成績表には常に赤点がひしめいていた。テストで100点取っても普通に通知表では5段階で1。なのである。

その学校は、成績をつける際、テストの点数は一切と言って良いほど加算せず、休みが無ければ5で、そこからの減点方式だったからだ。
僕は、最初それを知った際受験勉強に向くと思っていた。

学校の授業だけではどうせ合格できるだけの知識が身に付かないので、自分でやるしか無く、そうなると学校での勉強なんかやる余裕が全く無いためである。
勉強せずに赤点とらずに済むのなら…
と思っていた事が裏目に出た結果だった。

そして、また無視という非常に辛く、心の傷を作る学校に通い始めた。
卒業はしないと意味が無いから…。そう自分に言い聞かせて。

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(以下、追記です)
今にして思うのは、公立であれば実は高校って出席さえキチンと出来ていれば卒業は比較的簡単なのですよね。

そして、学校に行くのが辛いなら『大検』という選択肢もあった訳です。
無知というのは恐ろしい物だな…。
と今にしてみれば感じますね…。


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