どうやら、俺の価値観は他人とちょっと違うらしい。



全ての人の価値観が同じという事はないだろうけれど、


接客業において、気遣いの部分で、『ちょっと違うんじゃないの?』的な指摘を受けた。



他人に物事を理解してもらう上で、


『自分がそういう風にされたらどうですか?嫌でしょ?』見たいな感じで、指摘された。


いろいろ勉強になる事はあっても、


38歳にもなって、そういう指摘を受けるとは思ってもいなかった。


しかも、そう言われたにもかかわらず、


自分の身に置き換えたとしても、『別に俺は嫌じゃねぇよなぁ』と思ったりしたから、


そもそもの価値観が、その人とずれているのかもしれない。



詳しく話を聞けば、『確かにそうかもな』と思う部分はあるにはあるけれど、


『ちょっと言い方ってモンがあるだろう?』とも感じたし。


いちいち棘のある言い方だ。


まぁ、その人にとっては、丁寧に親切に言ってるつもりなのかもしれないけどね。。。



俺からしたら、その言い方は、『他人に反感喰らうよ』っていうのが、


そもそもの価値観の違いだとも思った。



別に、友達でもなんでもない、仕事の上での付き合いだからどうでもいいが、


人の事指摘するなら、自分のモノの言い方も考えた方がいいかもね。


その人がどう思われようと、俺には知った事じゃないから、


いちいち教えてあげなかったけど。



最近、自分の価値観が、他人と違うなぁって思うことが、


少しずつ把握できるようになってきた。


結構、客観的に分析してみると、


まず、俺は主語が抜けることが多いらしい。


だから、話しかける相手によっては、『???』ってこともあるみたいだ。


俺の事を理解してくれている人は、


笑いながら(呆れながら?)察してくれるみたいだけど、


初対面の人や、関わりの薄い人は、もちろんそうは見てくれない人も多い。


だから、気をつけなきゃと思ってるんだけど、


癖なのか、いきなり本題を話し出すことも多いらしい・・・。



あと、他人に関して無関心な時と、そうでない時の差があるらしく、


俺としては結構、気を使ってるつもりなんだけど、


表現力が足りないのか、相手には伝わらない、もしくは誤解されて伝わる事もしばしば。



『コミュニケーションって難しいね』って、改めて感じたよ。



その反面で、理解してくれてる人とは、つながりが深い。


その他大勢の人よりも、俄然俺の中での信頼度とかが上がるから、


何かあったら、力になりたいと思うし、


頼ってくれる人、俺を必要としてくれる人ならなおさら、


自分の事を後にしてもいいと思える。



自分で自分の事を受け入れるのが、幸せになれる一歩だから、


ナルシストとは違う意味での、『自己愛』っていうのは、大切だなと思ったよ。



『俺は俺でいいんだ』っていうこと。


組織の中では、理解されにくいけれど、


例え全ての人が、自分を否定したとしても、


自分の中にある信念と正義、想いを、自分が大事にしていれば、


俺が『ココ』にいる理由は、自然と見つかるかなと思ってる。



もし、俺がいるべき場所ではないなら、


それが会社であれ、家族であれ、恋人のそばであれ、いずれ去る時が来る。


同時に、次の居場所が、自然と用意されるような気がする。



人生ってそんなモン。



悟ったように見えても、また迷う。


自分を否定してしまう事もあるかもしれないけれど、


心のどこかで、存在を認めてくれる場所、相手を探し求めてる。



宗教的な話しではないけれど、


『求めよ。さらば与えられん。』


別に信者でもないけれど、この言葉は人間の希望を見出した言葉に感じられる。



望むモノには、望んだモノが与えられる。



顕在意識のレベルでなはく、潜在意識のレベルで。



真に欲しているものは、自然と与えられるようになっている。


今まで生きてきた中で、それだけは忘れた事がないし、


多分、これからも忘れる事はないと思う。



おそらく、真に望むのは、全ての人が同じモノ。




『幸せ』だろうから。