東日本大震災から一年が経った。
あの日の大きな地震、そして津波。
失われたたくさんの尊い命。
受け止めがたい、非現実的な事態に、すべての人が恐れおののいた。
地震や津波に、日頃から備えていた人たちであっても、想像を超える自然の驚異にのみ込まれた。
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金曜の午後の、慌ただしい時間だった。
突然始まった大きすぎる横揺れ。
仕事のことで頭がいっぱいな私達は…何が起こっているのか一瞬分からず、キョトンとして固まってしまった。
いつまでも止まぬ横揺れ。事務所のドアがダダダダバタバタバタバタと大きな音をたて、時々ガツンと地鳴りがした。
事務所にいる人は皆、動き出せずにいた。K坂さんがしばらくして二度目に「避難したほぅがええで
」と言った時に、初めて我に返ったように走り出した。それでも揺れが大き過ぎて、まともに走れず、ヨタヨタしながら玄関に向かう。
長く大きな揺れに、徐々に恐怖が湧き騒然とする。
外に飛び出すと、先に避難していた現場の人たちの中からAちゃんが悲痛な叫び声をあげた。
「何やってんのよ
遅いよ
みんな死んじゃうから
」電柱が揺れ動く。遠くの山は、花粉の黄色い雲に覆われていく。
アスファルトの上で、まだへっぴり腰のまま、近くの人につかまって、不安な顔で、皆で揺れがおさまるまで待った。
長く長く感じたけれど、実際には6、7分間の揺れだったらしい。
(こんなに大きな横揺れ…ということは、震源地はもっと大変なことになってるんじゃ…)
思いつつも、皆…何が起きているのか理解しきれずにいた。
目の前のことを何とかしようとアタフタとする。
壊れて落ちた空調。崩れた書類。開いた引き出し。
何度も余震が起きては悲鳴をあげ、それでも仕事を早く終わらせようと躍起になった。
(こんなこと…仕事なんてしている場合なんだろうか…)
「Fさん
地震のあとは電話が繋がりにくくなるから、東京の息子さんたちに早く連絡とって」変な責任感のような感覚が生じた。
「仕事の方は大丈夫だから、上がれる人は早く上がって
停電してる町もあちこちあるから、気を付けて帰るんだよ
」「Nさん、アパート帰っても停電してるから過ごせないって。誰か泊めてあげれる人いない
」事務所という空間…ある意味、情報が遮断していた。県内や近県の情報を集めるだけでやっとだった。
あんな大津波が東北や関東の沿岸地域を襲っていたなんて…予想だにしていなかった。
自分はひたすら仕事を進め、出来るだけの情報を集め、その日に限って全事業所の所長が外出していたので帰りを待った。
ホントは自分もテンパっていた。でも何とかしたかった。
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家に帰ると、台所の食器が散乱したままになっていた。棚のものも落ちていた。
翌日知ったが私達のいる鹿沼は、県内でも被害の少ない方だったらしい。
停電も断水もしてなかったから、寒い思いもしなくて済んだし、食事も出来たし、テレビも見られた。
あたしの目はテレビに釘付けになった。背筋が凍った。
想像を絶する大津波が、町を飲み込み、あらゆるものを押し流していく。
知り合いのいる釜石の町も、津波に流されていく。
恐かった…ひたすら恐かった。
あちこちに一生懸命連絡をとった。
知り合いの安否確認が出来るまでの5日間、災害ダイヤルや放送局の情報を集め続けた。
少しずつ家の中を片付けた。でも、余震が続いていたので、元通りにはしなかった。
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仕事になど行っている場合だろうか…と思いつつ出勤。
「何が何でも会社に来てください」センター長が言った。
ガソリンが入れられなかったり、スーパーに商品がなくなるという事態が起こった。
原発の問題も、この辺りでは無縁ではない。放射能について、きちんとした情報と知識を得ようとした。
電力不足で、計画停電も始まった。寸前まで、情報が来ないので、いつも不安なまま停電の時間をむかえた。
会社で停電になるときは、うちの事業所だけはフル稼働した。昼間ならいいが…夜に停電するときには、寒い事務所で…懐中電灯ひとつの明かりの下で、数名で仕事をした。
会社では気を張っているからまだ大丈夫だったが…家で停電になるときは、具合が悪くなった。非難用のろうそくひとつになり、ひたすら冷えてくる。
パニック症候群的症状が起こったが、言えずに暗い別の部屋へ行ってごまかした。
(大変な思いをしている人がたくさんいるんだから…このくらいのことでへこたれてたらダメだ…)
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ひたすら仕事に打ち込んだ。
働ける人が、頑張って働かないと…日本経済ははかゆかなくなるという。
会社も、全国的に見ると、設備や建物、商品の被害は何十億にものぼるらしかったが、社員は全員無事と確認がとれていた。
震災対応もたくさんあった。災害を受けた事業所をフォローしたり、仮設住宅用のサッシを提供したり。
ひたすら慌ただしく、全国の人と連絡を取りまくっていた。それと同時に、様子を聞いたりもした。
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しばらくの間、ガソリンのこともあり、不安もあり、遠くへ行けなかった。友達に会うことも出来なかった。
行動範囲は、片道10分程度が3週間くらい続き、徐々に市街地まで…とか、隣り町まで…となっていった。
震災の日が誕生日だった友達に会ったのは、2ケ月半以上経ってからだった。
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徐々に私達の生活は元に戻ってきた。やたら節電することも、少なくなってきた。
しかし、被災地で辛い生活を続けている人たちがたくさんいる。
たくさんの問題もまだまだ残っている。
色々な地域の人たちの色々な思いもある。
自分にも色々な思いがある。
震災のことについて、…とても綴りきれないけれど、これから先も自分たちに出来ることが何か、ずっと考え続けて、形にしてゆかなければならないのだと思う。
あの震災から一年。
これまでの私達の生活が、いかに恵まれていたのか、
生きているということが、それだけでどんなに意義のあることなのか、
人と人の繋がりが、どれだけ温かく力強いものなのか、
あらためて考える。
この胸の痛みを忘れずに、手をとりあっていこう。
少しでも多くの人が、少しでも早く、心からの笑顔を取り戻せるよう願う。