本日、ロンドンパラリンピックで国枝慎吾選手が車椅子テニス男子シングルで北京に続き連覇を果たしました。
北京パラリンピック後に肘を痛め手術を行ったことで、ロンドンパラリンピックに出場できるかという状況もあったようですが、見事復活し金メダルを獲得しました。
前回のブログで、ケガや病気が引退する要因として取り上げましたが、たとえ体にハンデがあっても現実を受け入れ、やれることを精一杯やることで再び輝けるのだとパラリンピックを通じ感じることができます。
何事も諦めた時点で終了ですが、未知の可能性を秘めた人間だからこそ、挑戦し続けることに夢と希望を感じることができるのではないでしょうか。
スポーツは非常に魅力的で人の心に”何か”を響かせることができるモノです。
与えて戴いた勇気と希望を力に変えていきたいと思います。
先日に続き今回も引退を考えつ要因について考えてみたいと思います。
前回取り上げたケガや病気はそれ自体が引退の理由ではなく、その結果解雇や契約更新にならなかった事により引退を余儀なくされた場合がほとんどではないでしょうか。
またプレーする上で体に何も問題が無くとも戦力にならないと判断された場合も解雇となります。
解雇は競技をすること自体が仕事とみなされている場で起き、またアマチュアスポーツ界よりは圧倒的にプロスポーツ界において発生する事象です。
チームスタッフと違い、アスリートは競技中のパフォーマンスで評価されるので、パフォーマンスの低下=解雇の対象となります。
もし仮に、アスリートが競技だけでなくチームの価値を高めたり、その選手の存在がチームの象徴となり付加価値があるとすれば・・・。
プロ野球界では解雇に際して”そろそろ”という雰囲気があるようです。
長い間控えでいたのに、シーズン終盤になり急にスタメン起用されると”なんとなく察する”と話を伺ったことがあります。
チームとしての温情による起用かと思いますが、2軍選手であれば引退試合もセレモニーも開いて貰えません。
プロ野球に限った話ではなく解雇によう引退はセレモニーも引退試合もほとんどありません。
かつてどんなに活躍しようと、ファンに愛されようと解雇や引退の時期によっては寂しくその世界から去って行く事になります。
引き際の美学といいますが、ここらへんの判断は非常に難しいと思います。
まだやれると挑戦するのも素晴らしいことでありますが、輝いているまま引退を迎えるのも決して悪いことではありません。
ただあまりに競技に固執したばかりに、次のステップへの機会やチャンスを逸してしまうことも考えられます。
引退を少しでも考えるようになったら、今まで生活の10割を競技に注いできていたのであれば、徐々にその割合を減らし、余裕の出来た時間と頭を違うことに向け、一般社会へのソフトランディングをするべきだと思います。
解雇は必ずしも突然とは言えませんが、いつなんどき訪れてもいいように予め対策を取っておくことが必要です。
心豊かなセカンドキャリアを迎える為だけでなく、魅力的なアスリートとして輝くためにもいろんなことに興味、関心を持つことが必要なのです。