アオイと青空。 | アオイ ノ ソラアイ。

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境界性人格障害、PTSD。。闘いながらも日々生きていくために葛藤中。
ある日の出来事や心模様など綴っていきます★


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あれから3年・・・


アオイも2月で25歳になる。。。。。





親に甘えて自活できないままじゃいられない年齢なのは痛いほどわかってる。


だけどどうしてまだこんなに歩みが遅いのか・・・。





睡眠障害も摂食障害ももういやだ。


両者とも症状がころころかわる。


ホルモン周期なのかなにが関係してるのかはぜんぜんわからないけど。





さいきん過眠で睡眠時間が長かった(12時間くらい寝てた)のが、睡眠リズムがまた狂ってきてて


夜中から昼まで眠れなくなって


だいたいいまの時間帯が眠くてぼーっとしてて頭が働かない感じで


夕方から12時くらいまで寝るって感じ。


これなおさないとなにもできない。


けっこうキツイ。


ほんと出かけたいし、早く仕事行けるようになりたいし。


なんで睡眠リズム狂ってくのかまぢ謎。






だから夜中12時に起きて夜ご飯食べることになるんだけど


拒食の時期はホットミルクだけとかおかず1品とかですむんだけど


過食の時期はご飯食べて夜の薬飲んで、ってここで薬ちゃんと飲んでるのに


過食の衝動が起きてイライラして食べてなんかへんな焦ったようなもう狂った感じで


食べ物探して食べて吐いて・・・


吐きたい。


すごい吐きたくなる。


で、いつものパターンだと次は拒食か拒食嘔吐になる。


ほんと字の通り食べ物を体が受け付けない。


拒んでる。


じぶんに栄養を与えたくない。


じぶんを生かしたくない。


このまま息絶えたら楽なのに・・・って思う。


いまでも早く人生を終わらせてしまいたいって思ってしまう。








でもそれはちがうって気付かせてくれたのは


いくら死にたいくらいつらくても


いつかきっと希望がみえるかもしれないって教えてくれたのは


いつもじぶんの上にあった


あの澄んだ青い空だった。







ほんとにもうそれまで精神的にじぶんの心の中の歯車が狂いだしてから


ずっと決壊しそうだった心がついに限界をむかえて砕けて、散った。


大学4年の夏だった。


それから院試はあきらめて次の年は治療に専念することに決めた。


カウンセラーさんや医者、教授や塾の先生、そして両親と話し合って決めた。


両親はそれまでアオイの精神的に抱えていたものをなにも知らなかったからとても話しにくかった。


学費や仕送り、心理系大学院の進学塾の受講料など妹の治療費もあるのに、金銭的にすべて面倒見てもらっていたのにほんとに申し訳なかった。


精神的に弱いことは昔からわかっていたけど、こんなタイミングで限界がくるなんてほんとに情けなかった。


教授は、アオイみたいな学生さんを何人もみてきたから、アオイの場合はタイミングが悪かったんだって言ってた。


でも、そのときはほんとに、じぶん自身が精神的に崩れていて、医療も受けていて、そんな状態なのに研究計画書や入学願書に


「臨床心理士になりたいと思った動機」


なんてとてもじゃないけれど書けなかった。


いまこんな状態にあるじぶんになにができるのか・・・


文章としてまとめる心の余裕なんてほんとなかった。


その後の大学生活は卒論と実習をこなすことでもういっぱいいっぱいだった。








頻繁にODで救急車で病院に運ばれるようになってからは、彼氏に薬を管理してもらって生活していたんだけど


1日ぶんのくすりを朝にぜんぶ飲んで出かけたり、リスカしたい衝動は抑えられないし、解離起こして包丁で自殺しようとしたり、


とにかく自傷とゆうか自殺行為がひどくて抑えられなくて・・・


元カレに限界がきてしまったのです。。。。。。


学校に行ってもアオイがちゃんと生きてるか心配で、もう同棲はムリだって


じぶんの親とアオイの親に相談して


アオイの知らないうちにアオイは地元に強制的に帰ることになったのです。。。。。


4月、学童保育のバイトをしながら大学で研究生としてまだ院試の勉強を続けるつもりでいた。


でも5月の中頃、バイト終わっったよってメールを送ったら


「ご飯はもうできてるから早く帰っておいで」


って返事がきた。


なんだろ?ってすごい不思議に思った。









なんと家に帰ったら両親がいた。


なにも聞いてなかったからすごいびっくりした。


そして、いきなり明日地元に帰るんだよって言われた。


アオイはほんとわけわかんなくてぜんぜん事態を把握できてなくて・・・


夜中に目を覚ましたときに、となりで寝ていたのが元カレじゃなかった。。。。。








そこでやっと事態を把握して泣き崩れて、この部屋に元カレはいないことにきづいた。


次の日、もう一度2人で過ごした部屋に会いに来てくれた。


そしてアオイの両親に挨拶して、部屋を出て行った。






それが元カレを見たさいごになった。






それから学童保育は親に辞めさせられて、地元に帰る支度をして新幹線で地元に帰った。


それから一度も東京に行けていない。






別々に暮らして、別れを告げられるまでは1ヶ月くらいあった。


アオイはまだ本気で病気を治して東京に戻る気持ちでいた。


だけど、アオイは元カレのそばにいることをあきらめなくちゃいけないんだって納得するまではすごい時間がかかった。


別れてからはずっとずっと毎日泣いていた。


カッターやカミソリなどは隠されてたけど、それでもみつけた母親のT字カミソリでむりやりリスカしたり


カミソリを隠されては買ってきて深く深く切ったり、薬を飲んだふりしてためてたり


包丁でおなかを刺したりと自殺行為や衝動はおさまらなくて


薬もすごい強いのをたくさん飲んでいた。


大事な友だちも彼氏も先生も先輩も後輩も、かけがえのない存在はぜんぶ東京に残してきたままだった。


そのときのじぶんの頭の中なんておぼえてないけど


とにかく強い薬でほとんど眠っているかぼんやりしているか自傷しているかの日々が続いた。






こんな日々がくるなんて思わなかったから


ただ薬で抑えつけられるだけの、ほんとにむなしくて悲しくて空っぽな毎日を送っていた。






夏くらいからだんだん外に散歩に出られるようになって


そのときに出会ったのがとってもとってもきれいな茜色の夕日だった。


それから散歩のときはいつもコンデジを持ち歩いて近所をぶらぶらして毎日写真を撮ってた。


3年前の暑い夏。


とっても澄みきった青くてほんとにきれいなきれいな青空に出会った。


毎日空の写真を撮り続けた。


もちろん撮れない日もあったけど。


だけど、写真を撮ることでほんとにあのときアオイは救われたんだ。


外に出る楽しみができた。


青い空が日が暮れるにつれてだんだんピンクやオレンジに染まっていく様子を撮ることがいちばんの楽しみだった。


アオイのほんとの病気との闘いがはじまったんだ。










いまでも友だちが結婚したり社会人でバリバリ働いたり趣味も充実してたり、院をでて心理の仕事してたり、大学院で勉強してたり


ほんとにじぶんと友だちをくらべちゃってすっごいオチることもある。


だいすきな志村が亡くなってから使いたくなかった言葉だけど、本気でやっぱり死にたくなるし消えたくもなる。


だけどまけないで、あのときの空を思い出して・・・・人より遅くても前に進もうって誓ったんだ。


アオイにとって空は特別な存在。


アオイにとって元カレはどんな意味があったんだろう?


元カレにとってもアオイと付き合っていたことは意味があったのかなぁ。。。。。


アオイを写真を撮ることの楽しさと難しさも、苦しくても生きていくことを教えてくれたのは青空。


あの人はほんとにとてもよく晴れた日の青い空みたいなきれいな心をしてたんだ。


あのときは追いつけなくて苦しかったけれど、いまはちがう場所で同じ空を見てるんだって信じてる。


いま一緒にいられなくても、同じ気持ちと時間を共有できたこと。


それがアオイにとって大事なことだったんだな、きっと。






あーーーーーーーーー


めちゃくちゃながい日記になっちゃった。


もう書き始めて2時間たってるよ。


気持ちに整理つけるためにもまた書こうかな、昔のこととかいろいろ。


ここまでよんでくれた方、ほんとにありがとうございます。


いるかなぁ。。。。。