『3分ぐらい無言のあと「またかけます。」っていう留守電やめてくれへん?ボーナストラックかなって思うから』セトウツミ(ノーフューチャーとスーパースターより)
チャップリンは「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」と言っていた。
今は悲しくても、いつか笑い話にできる日がくるというような意味なんだろう。
喜劇王らしい言葉だと思うし、そうであってほしいとおれも思う。
悲観してる場合じゃないよな、って。
でも心のどっかで「え?いつ喜劇だ!て思えるんですか?死ぬ前じゃ遅くないですか?どうなってんのチャップリン、ええコラ!」とかキレそうになることが多々ある。
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おれも歳を重ねたせいか、最近は"若い奴"と絡む機会が多くなった。
最近の若い子はしっかりしてるなぁと本当に思う。おれなんて代表的なダメな若いやつだったから。
そんなおれでも若い子から相談みたいなことをされることが増えてきた。「あ、おれってもう良い歳した大人なんだな」て少し寂しくなる。そりゃ身体も髪の毛も元気なくなってくるわなぁ。欲も減ってきたな。食後にコーヒー飲みたくなるのは歳取ったからなんだなぁ。
彼等の悩みの多くがざっくり言うと「ちゃんと後輩やれてますかね?」ということだ。
そう悩む時点でちゃんとしている気がするけど、おれに聞いちゃうあたり、あんまり人を見る目はないのかなと苦笑いしている。
そんな可愛い後輩達に必ずしている話がある。
「いやー、お前は全員大丈夫だよ。
俺の後輩でね、一番最後に来た挙句に金が無いからって先輩からビールを奢ってもらい、昼飯食ってないからってその後勝手に牛丼屋についてきて、人の金で牛丼の大盛り頼むアンポンタンだっているんだから。」
「しかも、ねぎ玉牛丼だよ。そこはノーマルだろ、って話しじゃん?最近金無くて昼メシ食ってないんですよ、って言われたらこっちも奢るしかないじゃん?」
おれは続ける。
「その後輩、挙げ句の果てに『金無いんで歩いて帰ります』て言うのよ。そんな事言われたら車で来てたおれは『じゃあ送ってくよ』て言うしか無いじゃん!で、まぁ、それはいいとしても、その後よ!」
おれはさらに続ける。フリースタイルダンジョンに出てたラッパーかな?てぐらいに舌が回る。
「その後輩の家の近くまで来たのね。そうしたら普通は『あ、そこのコンビニで大丈夫です!』とかさ、近くで降りて歩いて帰るでしょ?
違うからね、そいつは。マジで家の前まで送らせやがったから。家の二歩手前まで車をつけさせたから。最後降りる時に『このあたり住宅街でマジで道狭いから気をつけて帰ってくださいね!』て言いながら降りてったから。だったら住宅街の手前で降りろよ!て話しでさ。
そんな後輩に比べればお前は全然大丈夫だよ」
この話を超盛りに盛って、ちょっと前のホストの髪型くらい盛って、時には嘘をおり混ぜながら話している。
このアンポンタンな後輩とはPopcorn DEAD Shrimpsの下手ギターりょうまんである。
(ちなみに彼はShrimpsの綴りを当初は書けてなかった)
これだけ聞くと、ビールと牛丼くらいでわーきゃー騒いでる器の小さい男だと思う人もいるかもしれない。
千円ぐらいでしょ?と。
先輩ならそれぐらい奢れよ、と。
いや、それはそうなんです!
でも、おれにはこの話をうまくならなきゃいけない理由があった。
マヂカルラブリーが上沼恵美子を見返すために努力し続けたように。
スラムダンクの桜木花道の一万本シュートのように。
おれは努力し続けた。
全ては、彼等が売れた時に「おれは昔からPDSを知ってるぜ」と自慢するためだ。
そうだな、例えば夏フェスだ。
彼等がデカイステージで演奏する中、きっとそこにはPDSのTシャツを着た女の子がたくさんいるに違いない。
PDSのタオルを肩にかけたおれは言う「え?おれ、りょうまんの実家知ってるぐらい仲良いよ?初期メンバーも知ってるし。てか、この後暇?」てナンパするのだ。
人の名前使って女を口説くという、史上最強に下衆なことをしてやるつもりだったのだ。
それなのに!
解散しちゃったよ!
こんなに努力したのに!
完璧な絵を描いてたのに!
全ては無駄になってしまったよ。
伏線回収できなかったから、牛丼代だけでも回収してやろうかな!
まぁ、いいか。
解散しちゃったのは仕方ない。おれにはわからない彼等なりの理由があったんだと思う。
ぶっちゃけ、全然そこに今は興味ない。
りょうまんが辞めるってことは、そういうことだって勝手に思ってる。
ナンパは諦めよう。性欲なくなってきたし。
彼等の新曲が聞けなくなるのも悲しいけど、これまで曲が色褪せることはないでしょ。
Twitterとか見てる限り、仲が悪くなったとかの暗い話ではなさそうだしね。
解散してしまうのは少し悲しいけど、いつかこの話がおれらにとって喜劇のエピソードになればいいのかもしれない。
それまでは、牛丼代は取り立てないでおこう。
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ここから私事。
自己顕示欲と自意識過剰で。
気持ち悪いなって思われたら嫌だなぁと正直思うけど、せっかくだし書いてみる。
俺が本格的にバンドを始めたのは結構遅くて23.4の時でした。
その前に高3の時に一度バンドを組もうと思ったんですね。
当時、周りにはギターが難しい=偉いみたいな風潮がありました。
難しいギターが弾けるギタリストこそスターだと。
一方でパンクが好きな俺は「あんなの音楽じゃねぇ、簡単じゃん」とバカにされていました。
だけど、そんな速弾きを俺は嫌うわけではなく「お前はずっとギターソロ弾いてていいからさ、その上に俺がメロディ乗っけるからやろうよ」って一度だけ誘ったことがありました。
遠回しに断られた記憶があります。
今であれば多少の音楽知識と、音楽業界の流れなんかを無理矢理材料にして説得することができるかもしれませんが、当時の俺は引きつった顔で笑ってました。
それから、バンドを組むまで7年近くかかったってことです。ギターも全く弾きませんでした。
PDSの最後の音源をもらっめ聞いた時、めちゃくちゃピロピロ言ってるギターが一気に耳に入ってきた。
当然俺には弾けないようなギターだし、それでいてパンクだった。
あの時やりたかった事はこういうことだったのかなと少し思った。
練習嫌いだから絶対無理だけど。
ダイキにブログ書くって約束してた。
解散してからこんなに長い文章書くってダサいな。
死ぬほどクソだなって思う。
そういう奴ら軽蔑してたのにな。
別れた後にめっちゃ泣きつく男みたいな。
まとまんないけど、明日仕事だから寝る。
少しだけかっこいい大人になれるように頑張ろうかなと思いました。
お疲れ様でした。おやすみ。