「スマホ、見せて」なんて、これまでほとんど言ったことがなかった。
言っても「ウソウソ。別にいいよ」と言って、たとえ夫が差し出してきたとしても手に取らないか、夫がなんのためらいもなく、にっこり笑ってすんなり「はい」と言って渡してくるか。
夫は私が「ウソウソ。別にいいよ」と言うと思っていたかもしれない。
でもこの時私は、右手を出したまま引っ込めなかった。
そして私も、夫が「はい」とすんなり渡してくれると思っていた。
〈思っていた〉というのは違うか。
〈すぐに渡して!!お願いだから、「はい」って言いながらすぐに渡して!!〉
心の中で大声で訴えた。
でも夫は、私を見たまま自分のスマホを手に取ろうとしない。
「スマホ、見せて」。
極めて冷静に何度か口にしたと思うが、よく覚えていない。
心臓がバクバクし出した。
今こうして文字にしようとしても、あの時の何とも言えない気持ちは言葉にならない。
捨てられるかもしれない恐怖。
裏切られたのかもしれない怒り。
私じゃない誰かを好きになってしまった悲しさ。
何が起こってしまったのだろう。
今から何が起きるのだろう。
何故渡してくれないの?
それでもまだ望みを捨てないバカな私。
にっこり笑って「冗談冗談。はい」と言ってスマホを渡してくれるよね?
夫は大きなため息を一つついて、ビジネスバッグの中からスマホを取り出した。