僕は自分の容姿が嫌いだ。


いや、嫌いというのには語弊がある。好きなパーツもあるし、コンプレックスは色々あるがどれもありふれたものだ。


僕はもっと上に行きたい。


「雰囲気イケメン」とか「愛嬌のある顔」だとかそこで終わりたくない。


誰もが振り返るような、誰も触れられないような美しさが欲しい。TVや雑誌に載っているモデルや俳優、K-POPアイドルのように均整のとれた顔やスタイルが。


おいおい中高生の女子か。あまりにも幼い悩みだ。そんな事を考えている暇があったらインターンのひとつやふたつ申し込んだらどうだと我ながら思う。


もうこれは呪いだ。





幼い頃から「自分は美しくない」と弁えざるを得なかった。肥満児は自分の体型をネタにピエロを演じるしかなかった。「弁えたデブ」でいる事しか許されなかった。


若い頃に自らの容姿がもっとよかったら。どうしてもっと早く美しくなる努力をしなかったのか。今更悔やんでも遅いのだが、10代で美しい少年を見ると時々死にたいぐらい辛くなる。


歳下の知り合いと話していても、「もし10代の頃の自分が同級生だったらきっと相手にもされないんだろうな、馬鹿にされていたかもしれない」とネガティブな勘ぐりに苛まれる。





整形までは今のところ考えてはいない。下手にバランスを崩して余計に悪化するのが怖いし、何よりお金がかかる。


だが整形に手を出す、いや出さざるを得ない人々の気持ちはとてもよく分かる。


親からもらった顔に傷をつけるなんてとは言うが、親からもらったのは人生そのものだろう。顔はそのほんの一部であって、親からもらった大事な人生をよりよくするために顔をいじるという手段を選んだのではないか。


同じような理屈でリストカットを否定されるのも僕は嫌いだ。涙と血はほぼ同じ成分だと言うが、流れなくなった涙の代わりに自らを傷つけて血を流すのが自傷行為としてのリストカットだろう。もちろん周りの人がリストカットをしていたら僕はショックだし辞めて欲しい。だがそこに至るまでには壮絶な苦しみ、絶望が根本にある。リストカットはあくまで結果でしかないのだ。リストカットを辞めさせたければ、まずストレスの根本をどうにかした上でストレスへの効果的な対処法を構築していく必要があるんじゃないのか。


だいいちメスを入れるのが駄目なら病気や怪我で手術するのもアウトだろ。悪化してそのまま死ねってか?


整形とは決して悪いものではない。ただ危険だというだけだ。


失敗や手術のしすぎによってバランスが崩れるなどの物理的なリスクだけではない。


整形は手術をして終わりではないのだ。整形に偏見を抱く人からは心ない言葉を投げられるだろう。手術してもしても満足できない負のループにハマってしまう事もある。「結局天然美人には敵わなかった」というコンプレックスを抱き続ける恐れもある。手術後周りの異性が急に優しくなれば人間不信に陥ってしまうかもしれない。


そういった精神的なリスクを乗り越えられるかどうかが整形をする上で必要な覚悟だと思う。容姿を医療の力で変えたくなるほど精神的に追い詰められているのならば、手術と併せて相応のメンタルケアも必要だ。





話が逸れてしまった。


僕の彼氏は、ありがたい事に僕の容姿を褒めてくれる。無論容姿しか見ていないというわけではないし、僕が容姿に執着して苦しむ事は彼氏も望まないだろう。


僕とて彼氏の容姿は好きだが、付き合う決め手となったのはそこではなく中身だ。そもそも僕のような人間を飼い慣らせるのは彼氏ぐらいしかいない(笑)


とはいえ彼氏に頼り切りでいるわけにはいかない。僕の呪いを解くのは結局僕自身だ。


何も完全に解く必要はないのかもしれないが……。容姿以外にもコンプレックスを抱えているのが人として当たり前といえば当たり前。それが日常生活に支障をきたさない範囲で完結すれば良いだけの話だ。





僕は「誰もがみんな美しい」「100%ありのままでOK!」というような行き過ぎたポリコレ的思想は好きではない。顔や体の造形が整った、「世間一般的に」美しい人は惜しみなく称賛されるべきだ。


ただ、芸能人でもなく見た目を売りにしているわけでもない人を勝手に俎上に乗せて好き勝手批評するのには吐き気がするし、それによって「世間一般的に」美しくない人が不当な扱いをされるなど論外だ。


僕の容姿は僕のものだ。お前たちのものじゃない。





分かっている。誰のせいでもないことぐらい。


思い返せば別に100%の悪意ではなくむしろ親しみを込めてのイジリだっただろうし(中には悪意で言ってきた輩もいたかもしれないが)容姿が原因で本格的ないじめに遭った事はない。


そして、容姿で人の扱いを変えたり気やすく人の容姿をあげつらったり、現代社会においてこれらはもはや文化だ。特定の誰かに責任があるわけではないし、むしろ僕の周りにいたのは僕と同じ未熟な10代の子供ばかりだった。


彼ら彼女らもまた、こういった息苦しい時代の被害者だったのではないか。


僕に心ない言葉を投げつけた彼ら、彼女らは今後も醜くなる事に怯えながら他の誰かの容姿をジャッジし続けるのだろうか。それとも人生の途中で自分がしてしまったことの重みに気づき、僕と同じように悔やんでも悔やみ切れない後悔に呑み込まれてしまうのだろうか。


だからといって無自覚に人を傷つけていい事には決してならないが……。





結局自分のものさしで他人を評価するとき、そのものさしは自分自身も苦しめてしまう。


そして誰かに勝手なものさしを押しつけられてもそれを受け入れるかどうかは自分次第。


呪いをかけたのは僕自身。呪いを解くのも僕自身だ。


生きてさえいればこの呪いはやがて解ける。そう信じて生きていくしかない。