自分で勝手にブログ投稿の〆切日を設定しといて時間がなくなり「あー、早く仕上げなきゃ―⇒でも眠いよー⇒書けないよー」になってたのですが、1日間違えていたのに気づき多少のゆとりを取り戻しました。
 だけど。
 なんかねー、プロレスの記事を書くのが億劫で仕方ない。モチベーションが、さっぱり上がらないのよ。でもこれは当ブログの核となる題材でありますし、定期的に書いておかないとタダでさえ大したことのない文章力が急速に衰えてしまう気がする。ここはトレーニングのつもりで無理やりにでも書いておくべきかな。
 でも面白くはしないよ。今回はあっさりめで終わらせたいと思う。



 前回のプロレス記事をやったあとで話題になったもの。それは「週刊プロレス×ワンダ モーニングショット ファミリーマートのプロレス缶」の発売。プロレスに勢いのあった'80年代から'90年代にかけて発売された週プロの表紙を缶コーヒーにプリントされたもの。ツイッターでもブログでも、これをネタにしてる方、非常に多く見かけました。
 よくこんな企画が通ったな。ここは素直に感心するわ。ポイントなのは、現在進行形のプロレスではなく往年のものであること。特定の世代に向けて放たれた企画だとしたら楽しいような、悲しいような・・・いやいや、これはプロレスファンというよりも週プロ読者向けのやつだよね(笑)。
 どうせなら日本プロレス時代のものや国際プロレス系のも扱ってほしいところであるが、週プロの創刊はタイガーマスクの引退騒動があった時期なのでそこまでは望めない。それでもこんなマニアックな企画、いまどき攻めたほうだと思う。
 で。自分では買うつもりはなかったのに、先ほどたまたま国分寺のファミリーマートへ入ったら「前田缶がなかなかゲットできない」と誰かが書き込みしていたその前田缶が目の前で待機してくれてたので、つい買ってしまった。
 だけどこれ、ふつうに缶コーヒーとして飲めばいいのか? それとも未開封のまま保存してたら価値が出るのか? 結論が出せないので手つかずのまま放置している。

 


 しかしよく考えてみてほしい。繰り返すがワンダで選ばれた週プロの表紙はプロレス界に勢いがあった時代とともに、週プロに読ませる力があったときのもの。
 ちょっと前に週プロが新しいスタッフを募集していたものだけど、それへ応募する人は週プロのどこに惹かれているのかという点が問われる。往年の週プロを見たことのある人があれをやりたくて・・・という動機であれば誌面も面白くなるかもしれないが、最近の週プロしか見てないで入社するんなら今後も期待できませんなーとは思う。
 ワンダで選ばれた当時の週プロは、何十年経っても語られるような読み物だった。これに対し、いまの週プロ。まったく違う雑誌になってしまっている。そこの違いがわかる人、面白いことをやってやろうという人が記者になってほしい。
 いまや週プロの購読をやめるタイミングをうかがうばかりの私だが、思いとどまらせてくれるような誌面を見せつけてくれる日は来るのだろうか?



 
 
 ついでに、またちょっと前のところまで遡って書いてみる。
 新日本プロレスのIWGPヘビー級とIWGPインターコンチネンタルが統一され、IWGP世界ヘビー級王座という呼称になって1年が経ちました。新設当時は「IWGPのなかに“世界”が含まれてるのに、そのあとでまた“世界”をつけるのか?」などのツッコミどころが多々、ありましたね。
 でも私は、ちょっと違うところに疑問を抱いておりました。
「あの案は飯伏が言い出したことになってるけど、本当に飯伏の発案なのだろうか?」というところで。実際は会社側の提案で、それを飯伏が言わされただけだったんじゃないのか、という懐疑心が。
 いくつもベルトが乱立する状態にファンが飽きてきたのを察知したのもあるだろうし、そもそもベルトというのは頂点に立つ者だけが巻けるものなのに、なんやかんやと理由をつけて複数作るのがおかしかったのをようやく気づいたってことじゃないの? それを飯伏に言わせただけってことでは?
 私は飯伏のプロレススタイルには微妙な印象どまりなのだが、ツイッターのフォローはしている。たとえプロレスラーでも滅多なことではフォローしない私が、だ。
 それは彼の書く文章が、とてつもなく変テコだから。かつて週プロ誌上で連載していたサバイバルコラムに掲載されていた飯伏の文章は、まともな雑誌に載せられるような文章ではなかった。思考そのものがぶっ飛んでいたのはもちろん、突拍子もない箇所に句読点が打ってあるなど、学校の国語で教わるような基本的な文章の組み立てを完全にぶち壊したような書き方だったのだ。
 斬新だった。衝撃だった。あれが見たくてフォローしたようなものだ。
 だが最近の飯伏は、まともなことも書くようになった。かつての変人ぶりに陰りがうかがえる。
 内藤だっただろうか、飯伏はトップレスラーとしては発信が足りないと指摘していたのは。あのね、飯伏はことばや文章で主張するような人じゃないんですよ。内藤はことばや文章で表現する能力に長けてるのかもしれないけど、私に言わせりゃことばや文章で表現するのはフツーの人と一緒なんですよ。表現者がやることじゃない。まして飯伏は、そのタイプでもない。
 逆に言えば飯伏はそれだけおいしい素材でもあるのだ。見る側の解釈によっては無限の可能性を秘めた素材でもあったのですよ、キャラクターとしては。ある意味、存在が文学的なのかもしれない。それこそ少し前までのメディアなら、彼の面白さを存分に引き出せただろうにと思うのだが。なんか中途半端な状態にとどまっている印象。
 長州サンみたいに、引退してからブレイクするのだろうか? まぁ長州サンは現役時でも突き抜けてはいたんだし、マスコミからすれば放っておけぬ魅力的な人材だったんだけれども。

 
 続いて新日本とNOAHの対抗戦・・・いや、交流戦。はい、あれで何か芽生えましたでしょうか? たしかに新日本の圧勝ということになりました。でも印象的には人気選手の棚橋とオカダに経験の浅い清宮ひとりがやられました、というかんじ。経験豊富な棚橋&オカダとの差を見せつけられ、試合後に悔し泣きする清宮を一喝するオカダ。
 まぁ、いつもながらの互いを称え合うようなマイクパフォーマンスになるよりはマシでしたけど、しかしあれでNOAHに傷がついたのかというと・・・?
 経験が浅いとはいえ団体の面目を潰したことになる清宮は本来なら「戦犯」として吊し上げられる扱いをされてもおかしくないのではないかと思うのだが、そういう空気にはなってない。むしろ「今後を楽しみにしよう」的な見方をされてしまっている。
 ダメだ、業界もファンも、ぜんぜん本気になれてない。清宮は「プロレスラーをやめようと思った」とコメントしていたが、どうも彼らのことばは本心で言ってるのか表面だけのパフォーマンスなのか信用できなくて。
 いまのファンは安心してしまっている。若い清宮が、ここから這い上がって、いつか棚橋やオカダを見返すときがくる――そんなストーリーがあるだろうと、そこまでがセットだと高をくくっているような気がしてならない。
 ヌルいわー。厳しさが、まるでない。それでいいのかね?
 対抗戦を謳うのならば、団体が消滅するところまでやってほしかった。決定的な負けを印象づけた者は、心が折れて二度と立ち直れないところまで落とされる非情さが見たかった。次の日から何ごともなかったかのように通常モードになったんじゃないの? あれではお祭り的な空気で楽しませただけで、対抗戦なら必須項目の残酷さが感じられないのですよ。
 だから対抗戦じゃなくて交流戦なのだ。それどころか怒りを燃やす者も、恨みを抱く者もいない。あっさり味です。

「負けた者が立ち直るまで」をセット売りにしてるみたいな空気が嫌。「立ち直るまでを応援しよう」みたいな空気が嫌。そんな予定調和な一連の流れが。
 私が見たいのは、敗れた者が寂しく去り行く姿だ。この業界は、お約束のように立ち直ってくるパターンが多すぎる。そんなの信用できるか! そう簡単に這い上がれる世界なのかよ。
 甘いわ。勝つほうは相手が二度とリングに上がる気力を本当に削ぎ落とすところまで徹底的にやれ。もっと背徳的なものを見せたらどうなんだ?

 いまのプロレスには問題作がない。問題作がないのが問題なのだ。
 強いて挙げれば'20年3月に塩﨑と藤田が開始後30分以上未接触で睨み合いをした試合くらいか。あの試合なら今後も語り継がれるかもしれない。
 でも今回の新日本vsNOAHは、すぐに忘れられるだろう。そういうことよ。熱なんかないじゃない。

 
 ところでちょっと前のことですが、「小ネタ集 ~令和元年のはじまりはじまり/そして子は、それぞれの想いを胸に親を捨て故郷を捨てる」へ掲載した、鈴木秀樹選手へ向けたツイートにご本人が反応してくださいました。
 彼はエゴサーチを趣味にしてるらしいので、名前を入れたツイートをすると応答してくれることがある。最初にツイートした'19年5月のときには無反応でしたので、たぶんそのときはエゴサーチをお休みしていたのでしょう。でもブログへ掲載したタイミングで反応がありましたから、おそらくブログのほうへ訪問されたのだと思います。引用ツイートでコメントされたものですから、けっこうな反響がありました。
 それにしても当ブログの読者さんはご存知のように、うちの小ネタ記事はいつも容量がいっぱいにつき画面が重くなります。こんなのを鈴木選手はどんな思いで見てくださったのだろうかと想像すると申しわけなくなります(苦笑)。
 ただ、この記事をupした時期、鈴木選手はWWEへ行っててアメリカにいたはずです。イタリアからでは問題なく閲覧可能との情報もありますが、こういうのは案外、海外から見るほうがラクに見れるものなのかもしれませんね。

←ほかの記事にも「いいね」いただきました。

 その鈴木が日本へ帰国後、次の戦場として選んだのはNOAH。ほかからいくつもオファーがあったなか、金銭面での待遇のよさが決め手となったとかで。お金には苦労続きのNOAHがそんなにいい条件を提示できるのだろうかという疑問も大いにあるものの、鈴木のことだから真相はどうあれ頑としてそう言い張るんでしょうな。
 鈴木が参戦するとあらばNOAHには活気が出てくることが予想される。彼はフリーとしてさまざまな団体へ参戦してきたが、その期間中はことごとく刺激的な風景をもたらしてきた実績がある。きっとNOAHでも。これまでもNOAHマットへ上がったときには新しい風の気配を感じさせてはいたが、短期での参戦だったこともあり「中断」になっていた印象がある。それの続きが期待される。
 

 だがその前に、藤田和之がNOAHへ正式入団したというトピックがある。これはデカい。なにしろ藤田はどこへ行っても問題児。秋山準体制だった全日本でも彼を使いこなせなかった。それを入団させるというのだ。
 所属選手にとっては厄介なことになっただろう。藤田とてアラフィフ世代ではあるが、武藤が入ってくるのとはワケが違う。藤田は本当に強い。そればかりでなく、何をしでかしてくるのかわからない怖ろしさが、藤田にはあるからだ。
 でも近年のプロレス界で引っかかりのあった試合といえば、いつだって藤田絡みであったように思う。いまどきのプロレスとは逆行する、スイングしないプロレスを排出しまくる藤田。きっと業界内では腫れ物扱いされてるのではなかろうか。その藤田を今後も使い続けようとするのだから、NOAHは注目しないわけにはいかなくなる。鈴木と藤田、さらに船木誠勝も参戦中だ。新日本に敗北したのとは裏腹に、何かが起こりそうな予感を感じさせてくれてるのはNOAHのほうだ。
 まぁ、どうせ新日本は当面、安定・・・いや、安全なプロレス路線でお茶を濁すことになるんだろうからな。お茶
 清宮はオカダとやりたいとか言うんじゃなくて、真っ先に藤田とやるべきではなかっただろうか? そのほうがプロレスラーとして大事なものが備わるはずだよ。だって棚橋もオカダも強いタイプではない。まして怖いタイプでもない。というか、いまの新日本には強いタイプのレスラーも怖いタイプのレスラーもいない。そんなのとやるよりは、非予定調和な空気をまとう藤田のようなレスラーとやってくれたほうがいろんな可能性が期待できるというものだ。
 欲を言えば新日本との試合は藤田の入団後にやってほしかった。藤田とオカダの絡みが見てみたかったよ。
 そういえば、このたび新日本の50周年記念イベントがあったようだが、その場でオカダが「ボクたちはホントに変わらずにストロングスタイルで、闘魂を背負って、真のプロレスに励んでいきたいと思っています」とコメントしたという。ああ、オカダはまだわかってないんだなーと思ったけどね。

ビール
藤田の爆笑入団記者会見


 各団体とも、もうちょっと厳しさを見せたらどうなんですか。プロレスファンも、もっと傷ついたらどうなんですか。ハッピーで楽しいものだけじゃなく、悲しいことや辛い場面にも受け身をとってみたらどうなんですか。プロレスファンなら、もっと「勝負の世界」と向き合わなきゃならなくないですか。
 応援してるほうが力で屈した――そういうことならまだいい。いや、ショックはショックなんだろうが、強さ比べで勝負に行って敗れるのなら納得するしかない。
 しかし、世間に屈したプロレスを見せられることほど残念なことはないのです。大衆ウケするために自分たち本来のプロレスを曲げ、世間にケンカを売ってナンボのプロレスが世間に迎合する。そんなのプロレスとは呼びたくない!

 
 新日本の50周年記念イベントには、かつてのOBが多数、来場した。しかし私としては、来場しなかった(声もかからなかったのか?)栗栖正伸さんの声を聞いてほしかった。
「いまのレスラーはカッコつけばっかりで。レスラーにいちばん必要なものは何か知ってる? それはケンカできるかどうかよ。ケンカもできないような、したこともないような人間がプロレスやってもダメよ!」