いくつか前の記事で「外出もしないし面白いこともないから、日常で起こったことを書く『ブログ』がテーマの記事が作れない」というようなことを書きました。
 でも今回は、ちゃんと「ブログ」に見合った内容を書こうと思います。
 とはいえ、日常で起こった特筆すべきことなどは相変わらずありません。なんにもない。なんにもなくても書けそうなかんじになってきたので、今回はそれにチャレンジしてみます。



 まずはオリンピック。前々から私がオリンピック嫌いなのは掲載したことがありましたけど、これはもう徹底的に拒否ることで日々を過ごしておりました。
 ただ、反オリンピックの立場から発信するツイートならちょいちょい投下していましたので、そちらの特集をやってみたいと思います。
 


 私のオリンピック嫌いは根が深い。コロナの到来よりもずっと前から言い続けてきた。なかには「そんなこと言ってると非国民扱いされるよ」と忠告してきた人もいたが、こんなので非国民に映るのならそいつはよっぽど短絡思考のやつなんだろうし、言いたいやつには言わせておけとも思ってきました。

 そして迎えた東京オリンピック。このたびよく見かけたのが「最初は反対だったけど、見たら感動した」という声。この手の人たちは、たぶんコロナありきでものを言ってるんだと思う。当然、まったく靡かないどころか、もはや「好きな人は勝手に見ればいいじゃん」といったまともな意見にすら嫌悪感を抱いた。

 ・・・いま「まともな~」と書いたが、オイそれ本当にまともか? オリンピックの実態をわかっててそう言ってるのか? もしわかってるんだったら、なんでそんなことが言えるんだ?
 あれは知れば知るほど人を不幸にするイベントだということが見えてくるはずだ。それだけじゃない。あれを熱心に見ている人たちの多くは結局、日本人が優れた民族だと思いたいんでしょ。もっと言えば、自分が優れた民族の一員だと思いたいからでしょ。優越感に浸りたいからでしょ。
 だってみんな言うじゃん。「日本人として誇りに思う」とか。関係ない連中まで言うじゃん。なにが誇りじゃ。仮に出場した選手が偉大な記録を作ったとしても、それは日本人が優れてるんじゃないぞ。その選手が個人で優れてるだけだからな。
 おまえさんたちが言ってるのはアクタ共和国が主張してるのと一緒! 「どうせあいつらに五輪憲章なんか守れっこない」とは思っていたが、まったく予想どおり。見事に進歩していなかった。あ~あ。 ┐(´д`)┌




 この件については語り出すときりがないので、そろそろこのへんで止めておきます。

 

 

 で。ここで終わってしまったら本日の記事は、ただ反オリンピックを書き殴っただけになってしまいますね。今回は、なんにもなかったけどテーマ「ブログ」の記事を書くのがみずから課したお題ですので。話題を変えます。

 終戦記念日が過ぎたころ、戦争の夢をオムニバスで見た。自分が登場人物に憑依(?)してる。強烈な夢でした。
 ときどき夢日記的なツイートを書くこともあるのですが、このたび見た夢はツイッター向けではないものだったので、こちらへ書きとめておこうと思います。他人の夢の話なんて興味ないでしょうが、短い小説を読むのも似たようなかんじだと思うので問題ないですよね?

 まずはどこかの国の戦争従事者で、ある程度の地位にいる女性指揮官。でもそれが嫌になり、逃亡を試みる。
 隠れる場所を探す。自軍基地内のメカの内部へ侵入したりしている。でも結局は、とある学校校舎の床下へ潜んでいたところをみつかり銃殺されるのだが。
「みつかるか、みつかるか」と思いながら隠れているのがスリリングでした。そういえば私は、かくれんぼが大好きだ。



 

 ふたつめ。舞台は広島原爆投下の翌日あたりで、憑依先は『はだしのゲン』の登場人物。。ゲンの兄、またはその仲間。
 一日じゅう死体の解体業務に励んだ我々(原作と設定が違う)。やっと解放され、帰ろうとするところ。だがその行く先は爆心地そばの橋あたり。そこへ向かうためにひとつ手前の橋を渡るのだが、手すりや床にこびりついた肉片らしきものや臭いに心をやられながらの道中であった。仲間のほうは妹が爆死した報を聞いていたのを思い出し涙するのです・・・。


 

 なんか生々しかったわ。
 むかしから戦時中へタイムスリップする夢を見ることが多い。それも、だいたいは昭和20年8月6日午前8時のヒロシマの町へ放り込まれるのである。まさに「このあとすぐ!」の状況なので、かなり焦る。
 それが今回は「その後」の設定で疑似体験(?)してきました。
 これって心理学的には何を意味するのでしょう? わかる人、いますか?

 


 こういうのも戦争の知識によるトラウマなのでしょう。でも、トラウマになるからといって、それらの情報や知識を遮断しようとは思いません。

 

 

 今回は私のなかで勝手に戦ったり考えたりしたことで、身の上に何かが起こったわけではないものを記事にしました。

 誰かが言ってました。「どんなにすごいことを考えたり思いついたとしても、それをカタチに残さなければ何もなかったのと同じである」みたいなことを。

 その意味ではブログっていいですね。これやってなかったら、どんなことを考えたのかなんて誰に言うでもないので「何もなかったのと同じ」の繰り返しな人生でしたわ。