2021年初っ端の記事。まずは昨年を振り返ってみて。
 コロナのことは書きたくない。コロナそのものが嫌というのが理由ではなく、こうあっちもこっちもコロナのことばっかりなんで、おんなじようなことを書くのはよくないと思うからだ。日ごろから他人と被るのがわかってるようなネタなら書かないほうがいいと考えてるくらいなので、そうなるとコロナはいちばん避けなくてはならないネタであろう。
 それより、訃報を聞くほうが私には堪えた。志村けんさんが逝ってしまわれたことはたしかにガックリしたが、それだって被りまくるネタになってしまうので記事にするのはやめておく。
 12月になって、個人的に何度か遭遇し、当ブログでも何度か記事として扱ったことのある佐久田脩さんがお亡くなりになったとの報せが入った。愕然とした。
 だけどこれについては何を書いていいのかわからない。ただひとつ、思い出すことがある。

 伴大介さんの集いに佐久田さんがゲストとして来場された際、私の横に座られてまして。何かの拍子に私の指が佐久田さんの太ももにかすった瞬間があったのですよ。
 かすっただけですし、もちろん佐久田さんはノーリアクション。なんてことのない瞬間なんですが、なぜかそのときの指の感触を思い出すんですよね・・・。
 


 では今年も当ブログにおける昨年(2020年)の記事をテーマごとに集計をとってみました。各テーマの投下数は以下のとおり。

メモ世論→4
メモそんなに陽のあたらない名曲→4
メモ小ネタ→4
メモ宝徳幼稚園卒園論文→3
メモ絶望アンケート→2
メモしりとりアーカイブス→3
メモプロレス→4
メモ♪誰か曲をつけてください→2
メモブログ→5
メモテレビ/映画→2
メモここだけの話→3
メモクイズ→1

 以上、37記事。
 前年(2019年)には3つもあった「ひとりごと」と、おなじく2つありました「野球」がなくなりました。まぁ、これらは類似の記事もありましたので、あまり喪失感はありません。
 代わって前年には0だった「♪誰か曲をつけてください」が2つ、「ここだけの話」が3つも復活。両方ともアメンバー限定記事。前者はどうでもいい記事で、後者はあまり公にはできないのでコソコソ・ヒソヒソしながら書いたもの。ところが「コソコソ・ヒソヒソ」の記事見たさにアメンバー申請が殺到した年でもありました。
 えー。ここからは少々、以前アメンバー限定記事に書いたものと被る内容になります。
 アメンバー申請されましても、その多くは却下なんです。ダメですよ、ある程度は信用できる方にしか見せれないのがアメンバー限定記事じゃないですか。うちはそんなに低いハードルに設定にしたくないんですよ・・・というか、ヤバい話を書くこともあるから簡単に公開するわけにはいかないというのが正しいですかね。それ以外にもいろいろと思うところあり、こうしてる理由があるのですけど。
 最低でもコメントのやりとりが何度もあって、先方がどんな記事を書く人なのかも把握させてもらって・・・という過程を経る必要があるのです。そこを飛ばして申請されても承認できないんです。なかには「承認してあげたいんだけど、もう少しピースが足りない」という方もおられます。うっかり承認しようとしたんだけど「あれっ、この人まだ1回もコメントくれたことなかったよな?」って方も。
 私のなかで、その方の情報がまだ薄い段階だと、いったん保留といいますかね。「惜しいなー」と思いながら今回はスルーさせていただく――そんな方々には申しわけない気持ちもあるのです。だけど今後のやりとりによっては状況が変わる可能性もあります。
 ところがですよ。これまでにまったくやりとりもなく、まして「これ見たさにアメブロ登録したんか?」と思わせるような人(書いた記事がない)がいっぱいいるんです。そんなの論外ですので。
 ここ最近は承認基準を上げさせてもらい、かつて承認していた方でもいったん削除させていただいてる方もおられます。でもそれで苦情が入ることはなかったので問題はないんでしょうね。たぶんもう読まれてないか、最初から特定の記事にしか用がなかったんだと思います。
 つまりアメンバー限定記事に関しては、2020年は「より内輪に向けて」書いたものへシフトしていった年でしたね。これで今後は、もっとヤバいネタも書けるようになったってことでもありますが。イヒ

 一般公開記事では「プロレス」が減少傾向に。これはしょうがない。もう最近のプロレスには、ずっとおなじような感想しか出てこないから。とくに採り上げたくなるようなことが、なかなか起こらないのです。
 そんななかでも、ちょっとだけ琴線に触れるようなネタがちょっとだけありましたので、ちょっとだけ書いてみたいと思います。

 週刊プロレス11月11日号掲載、鈴木秀樹のコラム「偏屈論」より。テーマには「TAKAvs火野、不穏試合を読む」と題され、嫌がる選手同士の試合について綴られていた。
 TAKAみちのくと、その後輩にあたる火野裕士の試合が組まれた。この二人はリアルに不仲であることが有名だった。その経緯や結果はここでは書かないが、要するに、こういうテーマがコラムで採り上げられることに私は嬉しく思ったんですよね。
 表題には「“嫌いな選手同士の試合”は時代遅れなのか」「火野がTAKAをねじ伏せる試合を期待したい」と書かれてある。
 昨今では、不穏試合と呼ばれるようなプロレスをめっきり見かけなくなってしまった。そんな試合を週プロ誌上にも長いこと見かけた記憶がないのに、テレビ放送となれば言わずもがな。とにかく、どれもこれも「いい試合」「スイングする試合」といったものばかりなんである。
 しかし、プロレスを闘いだと標榜するのであれば、スイングしない、いびつな試合もなければおかしい。私の感覚ではそれが当然だと思っている。
 鈴木は過去に話題となった不穏試合や自身で経験した不穏試合を例に出し、そういうものをよしとする自分がいるいっぽうで、その感性は時代遅れなんだろうと思っているのだそうだ。「時代遅れなのを理解したうえで、それをうまく使えばいいとも思う」的なことも付け足されているが。
 鈴木的にはそういう試合は「なんとも思わない」と言えるほどの修羅場をくぐってきてるのだし、私も「それでこそプロレスラーだ」と思うのです。だから鈴木が頼もしく映るのですよ。
 ところが、いまのプロレス界で不穏試合はご法度なんだろうか? そんなものは許されない、みたいになっちゃってると。
 これじゃあプロレスが面白くなるわけがない。
 鈴木は自身の感性を「時代遅れ」と語ってますが、私は時代のせいにしてほしくはないのです。鈴木のような感性を持つ選手を時代に合わないといって斬り捨てるような流れにはしてほしくないのですよ。だって生々しい臭気を浴びてこそプロレスでしょって思いますもん。
 そう思うファンがいまや少数派となり、「いい試合」「スイングする試合」だけのプロレスを求めるファンが多数派になったのでしょう。
 少数派に追いやられた者は時代遅れ呼ばわりされるようになる。だけどこういうものは時代遅れで片づけてしまってはいけないんじゃないだろうか。だって残酷な世界を見せてこそプロレスでしょ。多数派が見たがらないからといってリング上から一掃したんでは、そんなのプロレスを見たことにならないじゃないですか。
 小説・漫画・映画・ドラマなどで例えると、最近では登場人物が苦しんでる描写を感情移入しすぎるあまり耐えられなくなって見るのをやめてしまう人が増えているそうな。勧善懲悪モノにはつきものの「いかに酷い悪を表現するか」も見せどころのひとつなのに、本当に「不謹慎だ」とクレーム入れてくる者も大勢いたりして。おかしいでしょ。
 そういったくだりには必然性があるはず。なのに作り手が理不尽なクレームに屈してしまうような作り方にしてしまう。こんなことやってたら各業界が堕落してしまう。そういった要素がなくなったらジャンルの存在する意味がないではないか。
 だから「時代だから」のせいにしてほしくないのだ。時代がどうあろうと、譲る必要のないものは譲ってはいけない。そしてプロレスラーの場合は鈴木のように「なんとも思わない」「何か仕掛けられても対処できる技術があれがよい」と、ケロリと言えるのが標準であってほしいのだ。
 私はね、果汁入りのプロレスが見たいんですよ!



 さて。
 コロナ禍のなか、田村潔司をエグゼクティブディレクター、長州力をオブザーバーに迎えた新団体=GLEATが旗揚げされた。団体の方向性云々についてはいろいろと言われているが、その話はいったん置いとく。
 プレ旗揚げとなった10・15後楽園ホール大会「GLEAT Ver.0」は全試合、動画配信にて観戦することができた。ここで「杉浦貴&藤田和之&ケンドー・カシンvs秋山準&関本大介&谷口周平」という、なかなか興味深いカードが実現。
 アマレスの経験者が大半を占める面子による構成。なかでも注目なのは秋山。NOAHから離れ全日本へ戻り選手兼社長として活躍していた秋山が、古巣・NOAH勢と絡む。
 だがそれよりも刺激的に映るのは、対戦相手のなかに爆弾ともいえる藤田がいることか。何をやってくるのかわからない(タイプは違うかもしれないが、カシンも何をしでかすかわからない選手である)。ちょっと前、藤田は秋山が社長時代の全日本マットへ上がったことがある。とくに諏訪魔との危険な闘いを予感させたものの、わずか数試合で秋山は藤田を「いらない」と斬ったことがあったっけ。合わないんだろうね、プロレス観が。
 だがこの6人タッグを見ていて私の琴線に触れたのは、それとも違う部分であった。
 放送席に長州力がいる。解説者として座っていたのだが、その長州のコメントが、じつに興味深かったのだ。

「何がやりたいのか・・・?」
 プロレスと格闘技を分けて考えたい長州としては、このGLEATの示す「プロレス50%、格闘技50%」の世界観が、いまいちピンとこないと・・・まぁ多くのファンが思っていることとおなじような見解を口にする。
 でも団体の方向性云々については先ほども書いたように、いまの段階では触れるのを控えておきたい。ここで採り上げたいのは、ある選手について放った長州の不満コメントだ。
 谷口? あった。もちろんあった、谷口にも(苦笑)。谷口については長州じゃなくても毎度のことなんで。それ以外の選手に矛先が向けられたのでありますが・・・これがじつに意外な人物だったのです。
 なんと関本大介! そのくだりを書き起こしてみたい。


長州「(関本は)やさしさがね、リングのなかでも顔に出てる。彼を怖いと思ってる選手がどのぐらいいるかなあ?」
アナ「なるほど。ファンからみると、そこはかとないやさしさみたいなものが魅力になってるところはあるんですけども」
長州「ああ・・・」
アナ「闘いのなかに必要かと問われれば答えに窮してしまいますが・・・やさしい力持ち、といったイメージもあります」

 このところテレビやネットでの長州サンの活躍ぶりは私的には「なんだかなぁ」と思わすことが多いのであるが、さすがに現場へ戻ると往年の鋭い眼力はまだ残っているとみえる。かなり控え目になってはいるが。
 関本といえば大日本の看板選手。ストロングBJの顔。他団体からも引っぱりダコの人気レスラーである。パワーと巧さを兼ね備え、わかりやすいファイトスタイルで、彼の試合を観戦したファンの満足度は常に高いはず。
 人間的にも人に好かれやすいのだろう、とにかく彼のネガティブな意見は聞いたことがないのだ。その関本を、長州は不満に感じてるようなのだ。
 ここで私もハッとした。「そういえば関本って、不穏試合をやったことがあるのだろうか?」と。
 おそらく関本の場合、興行を打つ側にとっては安心できる選手であろうし、対戦する相手にとっても安心できるレスラーなのではないだろうか。受けっぷりもいいし、彼とならば大きなハズレになるような試合にはならないだろうという意味での安心もある。
 多くのファンからすれば文句のつけようもないプロレスラー。だがしかし、それは裏を返せば「何をしてくるかわからない怖ろしさがない」ともいえるのではないか。
 そういえば天龍も週プロの「龍魂時評」のなかで、彼のことを「もっと欲があってもいい」みたいな意見を述べてたっけ(概ねは高評価だったが)。
 正直、個人的にも関本という選手は「いい選手なんだろうけども、もうひとつ感情移入しづらいプロレスラーだな」という印象だろうか。きちんと仕事をやってしまうタイプゆえに。
 かつて当ブログでも書いたことがあるが、天龍の引退興行で組まれた「諏訪魔&岡林vs藤田&関本」は問題作であった。諏訪魔と藤田が長時間のにらみ合いや場外戦に終始するなか、なんとか試合を成立させたのは関本と岡林の大日本勢であった。あれで諏訪魔と藤田は罵声を浴び、関本と岡林は称賛された。
 でも私的に面白かったのは圧倒的に諏訪魔と藤田のほうであり、関本と岡林はいつもどおりのプロレスをしただけなので彼らの動きはほとんど印象に残っていないのだ。
 安心できる選手がゆえの物足りなさか。GLEATにおける6人タッグマッチは秋山と藤田による不穏試合への期待を抱かせたものの、長州の指摘による関本の「足りないピース」が浮き彫りとなる結果に。いや、これはこれで収穫だと思います。



 ちょっと話を鈴木秀樹関連に戻したいと思う。
 先日、彼のツイッターでこのようなつぶやきがあった。

 

 
 ネット上ではこれを秋山準に向けて投下したものと判断され、プチ炎上に。要約すると「今年、ろくに試合をしていなかった鈴木が、結果を出している秋山をどうこう言える立場じゃないだろ」というのがアンチ派の言い分らしい。
 正確にはこのツイートが何に向けられて放たれたものなのかは明らかではない。ただ実際、秋山がDDTプロレス最強決定リーグ戦「D王 GRAND PRIX 2021」で優勝したと報じられたタイミングでツイートされたものではあった。
 秋山といえば2020年は全日本をいったん去り、DDTへレンタル移籍というかたちで活動していた。馬場さんから受け継ぐ王道プロレスのエッセンスをエンタメ色の強い新興団体の若い選手たちに伝え、闘いの部分で底上げしていこうとする図式だろうか。
 さらに秋山はみずからを“老害”と称し、それまでのDDTの価値観をかき乱すような存在に。エースでもある竹下幸之介らを圧倒する活躍を見せつけていた。
 51歳の秋山ではあるが、全日本とNOAHの最前線で活躍してきたレスラーである。地力があるのはもちろん、オールラウンドなプレイヤーでもある。それがDDTの若い人気選手たちを一蹴してしまった、ということか。
 秋山のDDTでの活動ぶりについてもここで触れるつもりはない。それどころか個人的にはまだ静観していたいと思っている。
 ただ、鈴木は気に入らないのかもしれない。もともと鈴木は業界のベテランが下り坂であるにもかかわらずダラダラと居座っている体質をよく思ってない考え方だったと思う。でも具体的に誰のことを指しているのかを明言したことはなかったのではないか。
 まさか、秋山のことを指していたんだとしたら私もビックリなんである。たしかに伸びしろは期待できない年齢なのかもしれないが、それでも彼はまだ動けるほうだと思っていたからだ。もちろん現役選手である鈴木の目からすると、私のような素人にはわからない部分も見えてるのだろうが。
 そんな鈴木だが、彼は最近、約6年ぶりに全日本のマットへも参戦している。鈴木と全日本といえば思い出すのが、2014年に全日本からリリースされた謎の文言「鈴木選手には大変ご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございません」。いったい何があったのか、いまだにわからない(笑)。
 あれから鈴木が全日本へ上がることはなく、今後も全日本へ上がることはないのかと思っていたのだが・・・まさか秋山がいなくなったからなのか?
 そうなると、さらに思い出されるのが秋山と鈴木のツイッターを通じたぎこちないやりとり。すると二人のあいだには・・・?
汗

リサイクル秋山と鈴木の、噛み合わないやりとりを掲載した記事

 私は秋山も鈴木も好きな選手なので、彼らの仲がよくないんだったらショックのパー・・・・・・ではありません。面白いじゃん! て思います。
 そもそも鈴木は「プロレスは揉めごとを起こしてなんぼ」と言ってしまう人だったと思います。エゴサーチをすれば、自身へのポジティブなネタよりもネガティブな書き込みのほうを好物とする変人でもあるのです(笑)。
 これを秋山は「うぜえ」って思ってるかもしれません。でも、それでいいのだと思います。
 両者の緊張関係はこれまで均衡状態だったと思うのですが、できれば近いうち、互いのプロレス観や人間性を否定しながらぶつかる“不穏試合”が実現することを私は心から願っておりますよ。ギクシャクした噛み合わないプロレスで会場をドン引きさせてください。客を喜ばせるのではなく、凍りつかせてください。
 そのうえであらためて問うてみればいいじゃないですか。「不穏試合は本当につまんないですか?」「不穏試合を本当に時代遅れということにしといていいんですか?」って。
 で。否定派のほうが多かったら、もっとやるのです。不穏試合の面白さがわかるまで。
ニヤ

パソコン不穏試合か否かで意見が分かれる天龍源一郎vsミスター・ポーゴの一戦。
ポーゴの職場放棄、天龍の「どうするのよ、コレ?」という表情と、その天龍のとばっちりを食らうポーゴJr.の悲劇・・・。事の真相はともかく、なかなかの問題作です。


 

 それはそうと。
 このところ、とくに主張する要素もないペットの記事を連続で書いてるあいだに読者登録される方が複数人おられたんだが。
 それがガラリと変わってこんな記事になってて、どう思われただろうか?
 ごめんね、これが本来の姿なのよ。にひひ