【問題】

 

どっちのタイプに近いですか?

 

YES本人の前ではニコニコ、本人がいないところで陰口→Yes

 

YES本人に直接ダメ出し、本人がいないところでコッソリ絶賛→No

 

 

選挙みんなのコメントはコチラ⇒\(^▽^)/ 表の顔と裏の顔 ゴニョゴニョ…(ノ゚д゚(; ̄Д ̄)ナヌッ?

 

コメント全温度チアーさんのコメント⇒【No】 どっちかといえばNoのつもりなのですが、話し方が下手なのか聞くほうにセンスがないのか、結果的にYesになっちゃってることが多い。

ちがうって、あっしの言う「きちがい」は誉め言葉なんだってば!

もう、よけいなことは黙っていよう・・・。ショック!

 

 

 本日のイエス・ノー世論回想記事は2010年9月に出題したものからです。
 

 日本語というのは本当に難しい。こうして文字にして発信する作業をしていると、つくづく感じることである。
 おなじものを表現しようとしてもプランAとプランBがあったりして、どれを選択すればいいかでけっこう悩んだりしませんか? 私なんかは漢字ひとつ使うにしても、ふつうの文字を書くべきか、それとも変化球(あえて通常とは違う文字を使う)で意味深な表現にするべきか、あるいは漢字はやめて片仮名や平仮名にしたほうが伝わるかと、いろいろ考えるもんで。その結果、たとえ短い文章でも長い時間をかけちゃうことがしばしばあるんですけど。
 にもかかわらず読んだ人が、こちらのまったく意図しない方向で解釈しているという残念な結果になってしまうことがたびたびあります。

 

 かといって、すべての人に理解してもらえることを意識する書き方をしていると、面白くない文章になるんですわ。どっちを重視するかで考えた場合、自分の場合は「わかる人だけに楽しんでもらえばいいや」という結論になるんですね。
 より多くの人が理解できるドリフの笑いがあるいっぽうで「わかんない人はおいていくよ」という姿勢の『ひょうきん族』的な笑いがあるとしたら、ここの場合は後者になりますかね。ああいうのも、わかんない人に理解してもらうように説明しようとした瞬間、面白くなくなりますからね。というか、わかんない人(なかには怒る人も)がいること込みで面白いのだから、そういう人の存在も必要ではあると思うんですね。

 

 まだ文章で表現するぶんにはいいのですが、私の場合、しゃべるのが人一倍ヘタなので日常では誤解されてばかりです。本当、しくじってばっかりですから。

 

 というわけでこのトピック。このとき私が書いたコメントは切実でした。あゝ切実でした。汗

 

 タレントや政治家など、有名人のコメントがバッシングを受けたりする様を見てても、他人事じゃない気分になることも多々あるんですよね。「あの人はサービス精神が旺盛ゆえに楽しませるつもりで言うつもりだったのが、たまたまツッコミどころのある表現をしてしまっただけなんだろうなー」と、同情してしまうですよね。言葉の選択を間違えてる系のやつですよ。
 じゃあ叩いてる人にしろ、そういう場へ出てしゃべってみればいいよ。誰からも突っ込まれることなくやり通すことがどれほど難しいか。
 そんなこと言ってると「ああいう立場にある人は、それじゃダメだろ」って言う人が出てくるんですよね。人間、そんなに完ぺきでいれるもんじゃないと思うんだけどなぁ。他人に厳しい人にしろ、そんなに立派ってもんでもないじゃん。ふつうに生きてて失言したこともない人なんて、たぶんいないでしょ。

 

 そこで書いたコメント、いっぱい支持票がありましたけどね。でもこの記事に書いてることって、じつはそこの参加者たち大半に向けたことでもあるんですよ。支持票を入れてくれた人も含むんですよ。だから彼ら彼女らには、この記事をしっかり見といてほしい。
 そんなに他人の過ちが許せませんか。だけど、おめえさん方のコメントも失言だらけですよ(しかも悪い意味で)。ダメ人間な私からみてもそうなのだから相当なもんなんですよ、と。

 

 ツッコミどころはしょうがないものとして、ただ叩くんじゃなくて、なるべく面白がる方向でいきたいと思うんですよね。

 

 

 ちょっと全体的に脱線気味な記事になってますので戻そうと思います。

 ・・・と思ったけど、なんか面倒くさくなってきたので今日はここらへんでやめときます。えーん

 

 そうそう、正義感の強すぎる人には、あまり近づかないほうがいいようです。
 いつか自分も裁かれることになりますから。