【問題】

大切にしていたものを勝手に処分されたことはありますか?

YESYes→エピソード等をどうぞ。
YESNo →もし処分されると、いちばんトサカにくるものを書いてください。なるべく一般には理解され難いものがいいです。


 本日のイエス・ノー世論回想記事は2011年7月に出題したものから。今回の記事はコレしかないと思いました。
 もうピンときた方もいるでしょう。そうです、例のバキバキ事件です。

 あの件につきましては私は大勢を占める側(非難派)と同意であり、ならば当ブログとしてはわざわざ記事にすることはないというのが本来の在り方である。
 しかし、Tママ(仮称)のやり方がどうにも許し難く、気持ちがおさまらないので例外的に発信させていただく。
 もちろん表に出ていないことも多々あろうとも思うが、ここは表面化している部分だけについて記事を進めていこうと思います。

 


 まず個人的な意見は既にツイッターへ投稿済みなので、そちらをコピペしておく。

 

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基本タイプ子は、自分が好きなものへの理解を求めてるのではない。だが、理解できぬ者に否定されれば殺意も芽生えよう。現在の自分を形成しているのは親より「好きなもの」のほうが上位である、との意識が明確である場合、自分を全否定されるに等しいのだから。 18:59 - 2016年2月12日

基本タイプこれでよかったと思ってる親と、ゲームよりテストで満点をとることのほうが大事だと思わされる子。本人が望まない競技に参加させてる図式。これだから自信家は嫌いだ。うちも似たような環境だったが、いつか気づく日も来る。親は気づかぬままだが。 22:00 - 2016年2月12日

基本タイプ親は都合のいいように解釈して終わる。しかし子が、じつは腹のなかで未消化だった場合は、いつどのようなかたちで暴発するやもしれぬのだ。 親にとっては「こうなってほしくない」道を、わざわざ選んで進んでいく可能性は大いにある。 人間関係なんて脆いものだ。たとえそれが親子であっても。 21:21 - 2016年2月13日

基本タイプもっとも、よその親子関係がどうなろうと知ったこっちゃないのではあるが。 ただ、自分で記事にした以上はネガティブな反響が起こっても仕方ないわな。 21:22 - 2016年2月13日

基本タイプなによりマズイのは、子育てにおいて自信を持ってしまってる点。 子が「親にとって都合のいい子になる」ことを目指すようになったらオシマイよ。それこそ罪ですよ。 23:53 - 2016年2月13日

基本タイプ契約不履行だと言いたいのか? じゃあ、あれか。子が毎日散歩行くのを条件に犬を飼うが、やらなかったら犬を殺すんかな? 5:17 - 2016年2月14日

基本タイプ親子の関係を維持することに囚われ、いつまでもその縛りに支配され続ける必要はない。 16:05 - 2016年2月17日

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 さらにここでは、ツイッターには書ききれなかった「思うこと」をズラズラと書き足しておきます。

 なかには擁護側の意見もみられるが、どれもこれも弱く、もっともだと思えるものはいまのところ、ない。
 また「自分の子ども時代の恨みを無関係な他人の親子関係にぶつけるのはどうか?」といった意見もあるが、では自分の子ども時代に見た戦争体験をもとに他国の情勢に向けて意見することがダメとは思わないし、自分の子ども時代に受けた恩恵を無関係な可哀想な他人に還元するのがダメとも思わないので、それは却下でいいと判断する。
 メディアに出したのは本人なのである。少なくとも当初はあれをヨシとしていた新聞社側にも問題アリなんだろうしね。

「親は都合のいいように解釈して~」と書きましたが、ちょっと補足しておこうか。これは、子が自分(Tママ)に感謝を口にしたようなことが書いてあるくだりを指す。
 本当にそう言ったのかもしれないが、私は眉唾だと思っている。なぜなら小学生くらいの子の多くはオトナの機嫌をとるために、オトナに合わそうとする習性(?)があるからだ。オトナから見ての「いい子」を演じようとする。だが本音はどうか?

 また、Tママは幼いころから障害持ちの姉を虐めから守ろうとしていくうちに喧嘩っぱやくなったとか。まるで美談のような書かれ方だが、これもどうか?
 私には心当たりがある。6年生のときだったか、クラスの某女子に、やはり障害持ちの弟がいた。私はそのことをずっと知らなかったのだが、ある日、同じクラスの男子がその弟をからかったことで問題化した。
 ちなみにその女子も非常に勝ち気な性格だった。その女子が、涙ながらに男子の暴挙を訴えた。自分の弟が、いかに可哀想であるかと唱えるのだ。当然、先生は女子の味方だ。からかった男子が悪い。クラス全体は、この「先の見える」展開を重苦しく見守るしかすべがない。そしてもちろん男子が詫びて、このときの事件は終わった。
 だが! だが、である。
 この女子は、他人の障害持ちを虐めることには平気なのだ。誰よりも身をもってわかってるはずの行為を、彼女は堂々とやらかしていたのを私は見ている。同じクラスのY氏を、彼女はむしろ積極的に罵っていた。こうなると、弟を庇う素振りは表向きであり、家では弟を虐めてたんではないかという疑念も生じる。
 いや、Tママもそれと同じだとは言わない。でも、人なんて所詮はそんなもんだとも思っている。スイッチが入ってるうちは立派そうなことを言うが、なんでもない気が緩んだときなどにはメッキが剥げる。馬脚を露す。断片的なエピソードを見せられても、だからこの人が本当はいい人だという見方をするのにはストップがかかる。

 私はあまりゲームをやるほうではないが、それでも「勉強のほうがゲームより大事である」ことを前提で進めているのも気に入らない。そのへんについては過去記事にも書いてるのでここでは端折ることにするが。
 例えば勉強のできる人を羨ましいと思うことはあまりないが、あの『突撃! ヒューマン!!』を観ていたという人のことは大いに羨ましく思う。これについては同じような価値観を持つ人は少なくないだろう。
 でも『ヒューマン』放送当時の「テレビを見るとバカになる」といった論調が強かった時代に、そこまで価値のあるものになることを読めた人は皆無だったに違いないのだ。

 自分にとって大事なものは自分が決めることであって、親であろうと世間であろうと他者が決めるものではない。
 自分にとって大事なものを取り上げられ、代わりに一般的に価値の高いものを与えられたところで埋められるものではなかろうに。
 自分にとって大事なものに市民権があろうがなかろうが、そんなもんで裁かれて嬉しい者などいないでしょうに。

 そういえばハカイダーもそんなだったよな。彼にとっては兄(=キカイダー)を自らの手で葬ることこそが己のアイデンティティだった。しかしアカ地雷ガマにそれを横取りされて怒り狂った。そりゃそうだよ、そんなのワシでも怒る。
 ハカイダーは仲間であるはずのアカ地雷ガマを瞬殺し、その勢いで組織のボス(=ギル教授)に楯突き、はては自分の父でもある光明寺までをもぶっ殺そうとしたのである。
 彼にとっての大事なものが「兄の抹殺」であることに共感できるかについては意見が分かれそうであるが、大事なものを奪われたことで自暴自棄を起こす姿には理解を示す向きも多いかと思う。
 まさかTママは『キカイダー』も観てないのだろうか?

 ちなみに、ダーク破壊部隊のロボットたちは組織に忠実である。雑な言い方をすればサラリーマン的に職務を遂行しようとする。上司には絶対服従であるのが基本だ。だが、ハカイダーにだけは自我があった。ここが決定的な違いなのであるが、ここで思うのは、本当ならどう生きるかの選択肢は本人が決めることなんじゃないかということで。
 結果的に成功もすれば失敗もあるだろうが、自分で決めることにこそ価値があるのではないだろうかと。子どもに最初からサラリーマン的な生き方を叩きこむ教育の在り方にも個人的には疑問・・・おっと、脱線しそうになった。そっちの話は別の機会にしよう。

 


 さまざまな事情により、「好きなもの」との繋がりを断ち切らねばならないこともあるだろう。
 だが、その自爆スイッチを押すのは本人でなければならない。まして価値のわからぬ者がそのスイッチに手を触れるなど言語道断なのだ。

選挙みんなのコメントはコチラ⇒サヨナラお宝

 

コメント全温度チアーさんのコメント⇒【YES】このたび自分の部屋にあった、長年コツコツと集めていた書物を捨てられました。他人に理解してほしいとは思わなかったけど、ありったけの情熱を注いできたものだっただけに自分の人生を全否定された気分だ。小さいころにも宝物を捨てられたが、どんなにバカにされても手放すべきでなかったと、いまでも思っている。せめて決断を下すのは自分の意思でやりたかった。

 


 親であろうと、大切なものの価値を自分以外の者に決められてたまるか。
 アグネス・チャンであろうと勝手に決められてたまるか!

 


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