先日はネット不通の事態に苛まれたばかりだというのに、こんどはパコソンの調子が悪くなりやがった。
 前兆はあったんですよ。ここんとこ、なかなか起動してくれない様子でしたからね。そしたらネットで文章の作成中に、いきなり電源が落ちよりました。それからは、何度やっても正常な画面にたどり着くことはありませんでした。
 ネット喫茶へ行って調べてみたところ、どうやら内臓のコインバッテリーが消耗した際に現れる現象に似ているようでした。なので池袋のPCショップで診てもらいに行ったんですわ。
 そしたら電源スイッチ入れてもウンともスンとも言わないでやんの。完全にご臨終・・・。

 このときの店員さんとの会話です。
「お買い上げになったのはいつのことですか?」
「2007年か2008年だったと思います」
「ああ、もうだいぶ古くなってますね。いまが2014年ですから・・・」
「なにをおっしゃるうさぎさん、まだ10年も経ってないじゃないですか。うちは物を大事にするんですよ。炊飯器とかは19年使ってましたし。不良品ですかね?」
「いや、ふつうPCというのは・・・」
「あっ、そういえばこれ中古でしたわ」
「ということは、物自体はさらに古いことになりますね」
「そうでした、そうでした」
「むしろ、よく持ったほうですよ」
「なるほど、もしかすると1995年製かもしれないですしね」
「・・・・・・」
 なぜか店員さんは笑いを噛み殺すような表情をされてましたが、チアーさんは面白いことなんかなーんにも言ってませんので、それは気のせいだと思います。
 

 

   さて。この日、池袋へ来たのは他にも用があってのことでした。パコソンがぶっ壊れたのは緊急事態ではあったのですが、もうひとつのほうは数日前から予定していたものでしたので、むしろそれのほうがメインということになります。
 ある方とお会いすることになっていたのです。その方とは『この世のなごり、夜もなごり
(曾根崎心中)』など、当ブログの記事には何度か登場いただきましたスターダス・21カンパニーの役者さん=大畑香菜さん。あることで取材(?)を申し出ましたところ、快くお受けいただけるとのことでして。
 17時に待ち合わせることになっていたのにチアーさんは12時だと間違えた認識で行動していたので(メールで往信していたのですが、PC故障のためネット喫茶へ行かないと読めなくなってたのも響いたか?)、ごはんは朝に食べたっきり。すっかり腹ペコになってたことで、
サンシャインシティの地下にあるお店で食事しながら伺うことに。なお持ってきたPCはデスクトップでして重すぎるため、先ほどのお店で閉店まで預かってもらうことに。

「今日の本題はですね・・・私のなかではまだコレが終わってないんですよ」
 そう言いながら私が取り出したのは、6月に阿佐ヶ谷アルシェ
でおこなわれた、スターダス・21カンパニー第20回公演『子供の時間』のパンフ。
 緒事情により、今年に入ってからは遊びに出かける回数を制限するようになったチアーさん。プロレスにも行ってないし、常連であったはずの伴さん会ですらここ数回は完全欠席が続いております。この状況、いつまで続くのかわからないです。
 そんななか珍しく足を運んだのが、この舞台『子供の時間』でありました。その初日に行ってみたわけですけど。でも行けるとわかったのもほぼ直前くらいになってからでしたけどね。
 ――というわけで舞台『子供の時間』を、当日「観劇しながら思ったこと」「観劇後にわかったこと」に加え、後日あらためて「取材してわかったこと」などをゴチャ混ぜにしてレポートしたいと思います。ただ、私が間違えて解釈してしまった部分もある可能性もございますので、あんまり期待しないで読んでください。

 

 

 タイトルといい、布団で寝ている写真のチラシといい、てっきり私はほんわかムードで観れるお芝居なのかと思っておりました。ついでに言うと、4月にゲキ塾。さんの公演でご一緒させていただいた際にチラシの話になり、布団のなかはどうなってるのかと伺いますと「ご想像にお任せします」と仰せでして。でも作品の中身についてはいっさい触れることはなかったものです。まぁ、軽い気持ちで観劇に臨んだわけですよ。
 騙されました。この舞台、ひと癖もふた癖もある、ひどく油断のできないトンデモ作品だったのですよー!
 同作品はリリアン・ヘルマンによる原作で、1962年にはオードリー・ヘプバーンやシャーリー・マクレーンらが出演した『噂の二人』として映画化もされた名作なんだそうで。あとで聞いたんですけど“取扱注意”なお話、とのことでした。

 1930年代のアメリカ。学生時代から仲のよかったカレンとマーサは共同で女学校を経営していた。カレンにはジョーゼフという婚約者がおり、二人は婚約した。しかし経営が軌道に乗りはじめた時期でもあり、マーサは嫉妬しカレンと口論になる。さらに、わがままな生徒メアリーによってカレンとマーサが同性愛関係にあるとの噂を流されたことから、平穏だった暮らしは次第に崩壊していく――。

 前半の主役はなんといっても、わがまま生徒=メアリー(演:加藤祐未さん)に尽きる。こいつは自分が子供であることを武器としてフルに活用する性悪女なのでありました。祖母=アメリア(演:藤本るみさん)が学校の経営に多大な貢献をした人物であり、しかも自分を溺愛していることを利用して先生どもを困らす困らす。それがよくあるような「他愛ない子供の嘘」というレベルにはとどまらぬ破壊力を秘めているのだから、のっぴきならない事態へと話はおよんでしまうのである。
 そもそもメアリーは普段から他人を陥れる技術にかけては天才的な娘であった。どういうわけか他人の弱みを握る嗅覚が抜群に優れており、言葉の巧みさも相まって思うがままに人を操ってしまう。このあたり、もしかしたら『金八先生』第5シリーズにおける兼末健次郎の元ネタだったんじゃないかと思ってしまった。そのうえ劇中ではメアリーが最後まで罰を受ける場面は来ないのである。子供でありながら最凶のキラーぶりを発揮しまくるのが強烈だ。
 そのメアリーは前半で姿を消し、後半からはカレン(演:平野史子さん)が主役になった。たったひとりの娘(生徒)に人生設計をぶち壊しにされ、夢も希望も失った女教師の絶望的な姿が展開される。裁判で負け、同性愛者のレッテルを街全体で貼られたカレンとマーサ(演:矢野宏美さん)は寄宿舎から出歩くこともできずにいる。

 この物語には安心して見ていられる人格者は登場しない。もちろんメアリーは大嘘つき女であるが、カレンにしろ保身のあまり子供相手に感情的な態度を見せることもある。アメリアばあさんは基本、善意の人ではあるが孫を妄信するため他者の言葉はなかなか届かない。個人差はあれ、みんなみんなどこかに負の要素がある。ハッキリと善人と悪人とに分けた描かれ方はされておらず、例えば「○○はこういうキャラだから、こういう場面になればこういう言動になるだろう」というような見方ができない登場人物が多い。その意味ではわかりにくさもあっただろう。

 

 しかし、もともと人間とは矛盾だらけの生き物だ。ひとりの人間が何かの拍子に過去のデータにはない言動を見せることによって、それまでイメージされていた人物像が崩れてしまう・・・なんてケースはよくあることで。その意味で、この作品はリアルだったともいえる。

  だが、それゆえ演じる側は相当に難しかっただろうと予想できるし、観る側だって気を抜くことができない。・・・その点、ひたすらヒールに徹すればよかったメアリーは、まだ楽なほうだったのかもしれない。


 カレンはジョーゼフ(演:鯉沼直暉さん)に別れを告げる。だがジョーセフは絶望の淵にいる彼女にあの手この手で救いを差し伸べようとする。それも誠実に。しかし、そんななかにもカレンに対する疑念が生じていることをカレンは見抜いていた。カレンには、もうジョーゼフの誠実さを受け入れる気力すら残ってはいなかった。すべてを清算して前向きにやり直そうと諭す彼の声。それは人として間違いではない。それでも、もはや少しの疑念も許せず未来に希望を託すことすらできないところまで落ちてしまった彼女の前には暖簾に腕押し。どうしても、どうしても、どうしても届かないのであった。
 さらに、こんどはマーサが、世間からのレッテルは嘘ではなく、自分は本当に同性愛者であることをカミングアウトしたうえで自決。あっというまにカレンは婚約者と友人を同時に失ってしまう。
 最後に現れたのはアメリアばあさんことティルフォード婦人。カレンのもとに、メアリーの嘘がやっとわかった旨を伝えにきたのだ。ところが、そんな婦人にも「あなたは自分の心を安らげるためにここに来たんでしょう」と静かに吐き捨て、決して受け容れようとはしないカレン。
 話がマーサの死におよび、一向に絶望から立ち上がろうとしないカレンに「あなたは生きている!!」と決死の想いで背中を押そうとする婦人。このへんのやりとりは壮絶であった。が・・・結局、カレンには、それすらも通用しなかったのである――。

 素晴らしきバッドエンド!  普通なら、話のどこかで事態が好転しそうなものだ。実際、それへ導くチャンスはいくつも訪れた。しかしこの物語では、いっさいの救いの要素を最後まで拒絶しきってしまったのである。
 この題材をチョイスするのは、やる側としても相当に勇気が要ったことであろう。 きっと「わざわざ金を出して観にきてるのに辛い気持ちにされて帰ることになるなんて、冗談じゃない」という向きもいるだろうからだ。
 でも、安易にメデタシメデタシに落ち着かされることをヨシとしない全温度チアーさんにとっては、まさに大当たりといっていい内容なのでありました。まったく媚びず自分たちのやりたいことをやり、それでいて自己満足にもなっていない姿勢には大いに好感が持てる。
 ちなみにスターダスさんの公演を観に行ったのはこれで3回目だったのですが、そのうち2回がいい塩梅に後味の悪い結末でして・・・チャレンジャーだと思います(笑)。

 また、秀逸だったのが、当時の価値観そのままで進行していったことでしょうか。
 例えば同性愛者への偏見。現代では、そういった方々への理解は完全ではないものの高まりつつあります。ところがこの作品では、同性愛は不純なものとして描かれ、それが最後まで改められることなく貫徹されているのです。
 もちろんスターダスの皆さんも、それだと現代では不適切な表現に当たると認識されていることと思います。だからこの舞台は、テレビなどで放送することはご法度であると思われます。
 しかし、安易に現代流の価値観を少しも加えることなく、リスクも承知で当時の背景を重視してやりきる姿勢・・・私こういうの、ものすごく好きですね。

 さて。このたびの公演で勝手に私的MVPを挙げさせてもらうとするなら、それはティルフォード婦人を演じた藤本さんにしたい。私は演劇素人ではあるが、あの雰囲気を出せるのはたぶんスゴいことなんだと思う。聞けば藤本さんは、まだ30代とのこと。単純に、実際には体験したことのない年齢の役を演るというだけでも大変そう。さらに彼女の佇まいは日本の「おばあちゃん」ではなく、『~ハイジ』とか『母をたずねて~』などに登場しそうな、欧州の「ばあば」もしくは「おばあさま」といった表現がピッタリな雰囲気を醸していた。
 そういえば、かつて上野山功一さんが若いころ『超神ビビューン』でダイマ博士という老け役を担当されたことがあった。ティルフォード婦人の佇まいにダイマ博士のそれとダブるものを感じた。が、そう思ったのは、たぶん私だけであろう。藤本さんがダイマ博士を手本にしたとは思えないですしね(笑)。

 演劇素人の私が今回、もっとも大変そうだと感じたのはカレンを演じた平野さん。このお芝居が微妙で複雑な心理描写を前面に出していくタイプのものであり、カレンは先ほども述べたように人間の多面性も内包した演技も要求される役どころ。ありきたりなドラマを見慣れてる観客には、わかりにくく伝わりにくいかもしれない・・・そういうハードルとも戦っていかなければならないポジションだと思ったからだ。もちろんそれは他の役にもいえることではありますが、とくにカレンはその要素が強かったように感じました。
 悲惨な展開だからといって、あからさまに号泣しているわけではない。私は最前列で観ていたので彼女の目がわずかに濡れていたのは確認できたものの、大きな芝居ではないぶん真に迫って見えたものだ。
 役になりきる、というのがどういう感覚なのかは私なんぞは想像することしかできないけれど、公演のたびに絶望に打ちひしがれるのだとしたら、このカレンという役は相当に消耗度の激しいポジションだったのではないだろうかと心配になってしまった。
 で、カレンはこの先、どんなふうにして生きていくのだろうか?

 ジョーゼフを演じた鯉沼さんは今回、唯一の男性キャスト。彼は私が初めて観たスターダスさんの舞台『この世のなごり~』にて壮絶な斬首シーンを見せてくれたことが強烈に残っているため、私は勝手に「南無三宝くん」と呼んでいる。今回の舞台ではジェントルマンの役をさらりと演ってのけたように見えました。
 ところが大畑さんの証言によりますと、そこに至るまでが大変だったらしい。そこそこカッコいい役どころなのに、なかなかそう見える衣装が見つからなかったのだとか。というか、ふつう誰が着てもそれなりの見栄えになるような服であっても、鯉沼さんが着てしまったら笑いになってしまうとのことで。仕方なく大畑さんも一緒になって衣装探しを手伝ったのだそうですが、本番では違和感なく観ることができました。
 そんな鯉沼さんは、残念なことに「ネットできない系男子」なんだそうです。なので、ここでいくら誉めてあげても本人には届かない可能性が高い(笑)。でも、そういうところが妙に親近感があったりします。

 終演直後、アンケート用紙の記入に時間をかけているチアーさんのところへ大畑さんが真っすぐ歩いてお越しになった。最前列にいたから舞台上からも、私がどこにいるのかわかったのかもしれない。
 しばし雑談したあと外へ出たら他の出演者の皆さんが送賓のためにゾロゾロと立っておられたのですが、大ヒール=メアリーを演じ、この日最大のインパクトを見せつけた加藤祐未さんの姿はもうなかった。既に引き上げたあとだったのか、それともあまりの悪党ぶりに殺意を抱いた観客から退避するため最初から外へは出てこなかったのか・・・まぁ、そうなったらそうなったで役者冥利に尽きることなんでしょうけどね。
 大畑さん曰く、もし本番中にメアリーがいつもと違う動きを見せた場合、その後のお芝居はすべて変えていかなくてはならない怖さがあったそうなんです。物語のなかだけでなく、その気になれば舞台上の役者さんをも振り回す力を与えられていたメアリー。我々が思う以上におそろしい娘だったということです。

 大畑さんが演じたのはペギー・ロジャーズという12歳の生徒役。序盤は、このペギーが中心となって展開していたのだそうですが、正直そこの部分はあまり覚えてません(ゴメンネ)。強いて挙げれば、文章を読み上げようとしてるところを噛んでたなぁと(そういう演出で)。でも、ただ噛めばいいというものではなくて、リハーサルのときは噛み方がうまくいかないことも多々あったんだそうです。
 この舞台、大畑さんは「食料品店の小僧」という別の役も一人二役として出演されていました。カレンとマーサが俗世間と離れて暮らしているところへ配達に伺い、その様子が噂どおりのように見えた際「ヒューヒュー」と冷やかして帰っていくだけというチョイ役。でも、私にはその役のほうが印象的でして。
 大柄な男が着るような服(Lサイズだったらしい)をまとい、帽子を目深に被っています。そのことによって大畑さんの口の大きさが際立つ結果になり(失礼) 、まるで喪黒福造のようなあやしさを醸し出していました。ちょっとした妖怪です。ビジュアルだけで面白いというのは有効な武器になりますね。
 じつは大畑さん、この役はかなり楽しんで臨んでいたらしく、生まれてからの生い立ちなど、表には出ることのない裏設定を自分で考え、しかも稽古のたびにコロコロ変えてみたり・・・と。まぁ、遊び心を入れるとしたら全登場人物のなかで唯一のキャラクターだったような気がします。いい意味で、どうでもいい登場人物といいますか・・・(ホントはどうでもいいわけではないけど)。少しだけではありましたが、観る側にとっても気を抜くことができる場面を作ったという意味では貴重な存在だったのかもしれません(笑)。

 他の出演者の方々も、皆さんよかったと思います。ちなみに少々おバカっぽいリリー・モーター夫人を演じた上野彩さんは公演のたびにお見かけするのですが、なぜか私のなかでは上野さんがスターダスさんの“顔”のように思える存在感をまとってらっしゃってて、この方のお姿を見るとホッとするようになってしまった。不思議ですね。

 なお、この『子供の時間』では、同じ演目を2チームに分けて公演するスタイルが用いられており、私が観たのはAチームの初日。BチームではAに出てた方の大半が違う役で出演されてたり、Aにはいなかった役者さんが出ていたりしてたそうです。
 私が観ていないほうのBチームも、上々の評判だったみたい。だけど同じ演目を違う役で出るのって、そんなうまいこと切り替えができるものなのか・・・。皆さん器用ですね。私にゃできる気がしませんよ。

 そうそう、忘れてはならない演出がありました。たしか2度ほど舞台の暗転があったのですが。
 この場合、通常なら真っ暗にして、照明が点いたら場面が変わっていた・・・という手順なのが一般的です。しかしこの舞台では真っ暗にするのではなく、うっすらと見えるんです。薄明かりのなかで、演者の方々が机やら椅子やらを踊りながら並び替えているのがわかりました。それはそれは華麗なまでに。リハーサルでは成功したためしがなかったほど難易度の高いものだったとか。
 さらにこの最中、出演者のひとりが後ろのボードに文字を書いてるんです。時間の経過や場面をここで観客に知らせる、というものでして。英語ではありましたけど、わかりやすくするには有効な手段でした。
 ただ書いてるだけじゃなく、いっぺん書いたものを打ち消して上書きするなど、細かい演出が光ります。ここらへんの演出、大畑さんも当初は知らなかったんだそうです。
 そのときは私、書いてる人のアルファベットの書き順にツッコミを入れながら見ていただけだったのですが、あとで大畑さんから面白いエピソードを伺いました。私が観ていたAチームでは文字がブロック体で、Bチームでは筆記体だったんだそうです。これは、Aチームで書くのを担当した方が学校で筆記体を習わなかった世代だったからなんだとか。Bチームでの同担当者の方とは1学年差しかなかったらしいのに、こんなところで違いが出てしまったんだと。こういうエピソード、大好き(笑)。

 あらためまして今回、快く取材に応じてくださいました大畑さんには感謝いたします。やはり、このたびの舞台は相当ヘビーなモチベーションで臨んだお芝居だったようです。そして実際に観劇したお客(おそらく私と違い、ある程度の観劇キャリアがある人たち)からは上々の評価を獲得していました。
 そのいっぽうで、やはり一部で「わかりにくい」という声もあったみたいです。例えば「悲しい場面なのに、なんで泣かないのか?」というものとか。
 う~ん、これは仕方ないかなぁ。たぶんそう思った人は、エンタメ的要素の強いものしか知らない人なのかもね。今回のはそういうのとは種類が違い、よりリアルな心理描写を提供するものだったからなぁ。その人には「こういうのもある」ことを知ってほしいなぁ、そしてこのお芝居がいかに高度なものであったかをわかってほしいなぁ・・・なんてことを、仮に舞台関係者の方々が思ってたとしても面と向かっては言えないでしょうから私が言っておく(笑)。

「本当に悲しいときは悲しい顔なんてしないと思います」

 取材の際、もっとも印象的だったのがこのコメント。大畑さんも、どちらかというとリアル志向なんだそうで。
 そこを追及することが役者さんにとってハードルの高いものなのか、それとも当然のことなのかはわかりかねますが、私の知るかぎり、リアルよりはわかりやすさのほうを重視するタイプのほうが多いような気がします。役者としての腕を上げるだけなら自分を磨けばいい話なんでしょうけど、それを観る側に読み取る力がなければ無になりかねない。そのへんのバランスが難しかったりするんでしょうしね。
 上記の言葉には、ご自身はもちろん、観客とも戦っていく心持ちで役者人生を続けていく覚悟のようなものを感じ取れました。大畑さんも、チャレンジャーです(笑)。きっと、いい女優さんになっていくことでしょう。

 

 

 そんなわけで、盲目的に子供を可愛いと思う大人どもの心は木端微塵に吹っ飛ぶようなお話でしたよ。子供は残酷な生き物であることを、もっと認識しなくちゃいけませんね。
 このお芝居を観ていて、ある歌(?)のことを思い出しました。それはたぶん私だけじゃなく、このレポートを読まれた方のなかにも同じようにアノ曲を思い浮かべた方はおられるんじゃないかと予想します。

 

何が天真爛漫だ
何が無邪気だ
何が星目がちなつぶらな瞳だ


 そうです、ここで名曲『子供たちを責めないで』の動画を貼っておきたいと思います。
 


 よく「夢のあるものを」って言いますよね。まるで夢がなかったらいけないかのような風潮です。
 でも、誰もが夢を求めてるわけではないんですよ。私なんか、ドラマに夢や希望を求めたことなんてないですから。そもそも夢や希望を語るお話ではベタですからね。


 夢や希望なんかじゃなくて、もっと絶望が見たい


 そんな要望に、見事に応えてくれた舞台でした。ごちそうさまでした。
 


 

 







 

 

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