※この投稿は、昨年9月に、秀樹さんのアルバム「若き獅子たち」再発を受けて、その時の想いを綴ろうとしていたのが途中になって放置していたものに、この度少し加筆を加えたものになります汗
書いたのは9月頃と思ってお読みください😅
(今回は真面目ですよ笑)

本当に、Twitterもブログもご無沙汰気味で申し訳ありません…💧
プライベートがかなり忙しくて、時間がなかなか取れずウズウズしていたのですが、ちょびっとだけヤマを越えたので、早速想いを綴ります笑



アルバムの再発をうけて…
最近また、西城秀樹さんのアルバム「若き獅子たち」をよく聴いています。

一昨年の夏に初めて聴いた時に、思い切り頭を岩で殴られたような衝撃を受け、一生分の涙を出し尽くしたと思える程毎日ボロボロ泣きながら、
一心不乱に筆を走らせ、論文か?と思う程の大長編感想文まで仕立て上げさせた、「やさしさに根ざした情熱と狂気」(阿久悠氏の言葉による)に満ちた作品。

また、その情熱と、やさしさと、狂気に触れたくなり、改めて聴いてみましたが…
やっぱり神経が持ちませんね(笑)
聴き通すと、ヘロヘロにへたり込んでしまうのは、相変わらずでした。
何百回も聴いて衝撃を受けてボロボロになってもなお、聴くその度にこの心が震える、そしてそのことにまたもや想定外の驚きを覚える…
こんなことが、人生、あるのですね。

そんな中で、一昨年、つまりこの作品に心を奪われた当時よりも、より一層実感したことがあります。
それは、秀樹さんの歌唱の「丁寧さ」です。
本当に、この上はもうないんじゃないかと思うほどに、丁寧に、丁寧に歌ってらっしゃる…
一昨年にこの作品を狂ったように聴き倒していた頃は、そのドラマ性に圧倒され、表面的にしか感じ取ることが出来ていなかったその丁寧さが、今、一つ一つ、実体を以て、私の脳内感覚に吸収されていく…そんな感じでしょうか。

その丁寧さを例えるならば、それはまるで、繊細で壊れやすいシャボン玉を、そっ…と手で包んであげるように、音符・休符の一つ一つから、全体的な楽曲のイメージに至るまで、
そっと、そーっと、シャボン玉を私達の心に置いていくように…

勢いで片付けるところが一切なく、ここまで丁寧に歌というものは歌えるものなのか?というぐらいに、細部まで丁寧に、この大きな大きな作品に歌声の足跡を刻んでいらっしゃいます。

いかに秀樹さんが、歌手としての「己」の部分を押し殺して、あくまで一演者として「ミュージカルアルバム・若き獅子たち」という一編の物語を創り上げることに徹していたか…
「歌を演じる」ことにおいては恐らく右に出る方はいないであろう秀樹さんの珠玉の作品群の中でも、このアルバムでは特にそれが浮き彫りになっていますが、秀樹さんの歌唱の驚くべき丁寧さも、その一因となっているのかもしれませんね。

また、それがかえって、このアルバムに潜む、隠れた「狂気」の部分にプラスに作用しているのだろう、と、改めて感じました。
感情をあえて抑え、一つ一つを置くように丁寧に施された歌唱の中に「狂気」の芽を見つけるたびに、背筋がゾクッとします。
西城秀樹さん…大袈裟でなく、魔法の歌声を持つ歌い手さんだと思います。

やはり、秀樹さんの歌声が唯一無二なのって、勿論声質や化け物級の歌唱スキルなどが合わさってのことではありますが、
ご本人が持つ優しさ、真摯さ、折り目正しさ、温かさ、ご自身のことよりも相手への思い遣り、そして、歌うことへの情熱と愛…
そうした、お人柄に関わる部分が一番大きいのだろうなと感じます。
西城秀樹さん、という人間のハートが歌声に表れて、
耳に心に優しく、
私達の心を包んでくれたり、柔らかな雨のように私達に降り注いだり…
それは、いつも温かな涙に変わり、私の頬を伝っていくのです。

個人的な話で恐縮ですが、同じく、歌を勉強している者から、秀樹さんの歌を見つめると、
「並の感受性の方の歌声ではない」ということを、ひしひしと感じます。
まるで朝露にきらめく、若草の色香のような瑞々しい歌声の中に、五感を超えた、形容しがたい"精神的震え"(この震えのことはまた機会を改めて触れます)が内包されている…その震えには、時に科学では説明のつかない、霊的なものすら宿っている…そんな気がします。
察するに、秀樹さんの感受性のアンテナは、一般人のそれよりも遥かに多すぎて、鋭すぎるのではないかと…
故に、常人では為し得ぬ、感情の機微まで表現することが可能だったのだろうと思います。
そりゃ、真似出来っこないですよね(笑)

また、その感受性のアンテナの多さ・鋭さ故に、人間関係や、芸能界という社会の中でも、神経を擦り減らす機会、ご自身が傷つく機会も、決して少なくなかったであろうと、想像します。

断言させていただきます。
傷つきやすい人でなければ、
沢山辛い思いをご経験された方でなければ、
あのように歌うことはできません。

秀樹さんがどんな生き方をされて、どんな想いをされてきたか…
それは秀樹さんにしかわからないことなので、想像の域を出ませんが、
その断片断片が、歌声から感じ取れる事も、たしかなことです。

そんな西城秀樹さんの産み出す歌声だからこそ、私達はその裏側にある、虹色の表情に惹きつけられ、想像の翼を自由自在にはためかせ、心を揺さぶられ、経験したことのないような感動を覚えるのだろうな…と思いました。

最後に…

"ある時、草原で突然の稲妻にうたれ奇跡の力を得た青年のように、選ばれた男のイメージであってほしいと思う。"
(「月刊you」創刊号/1976年9月号より引用)

このアルバムの全作詞を担われた阿久悠さんが、秀樹さんに向けて贈られたメッセージです。

それを踏まえつつ、勝手ながら、私の中でのこのアルバムの抽象的なイメージを書かせていただくと…

草原に産み落とされた、謎の光を放つ卵。
物言わず、静かに佇むその影。

決して多弁ではない歌声の響きだけを残し、
幾重にも色と光が重なり、中には何が宿っているのか、全くわからない…
説明も出来ないし、説明しようにも言葉が見つからない…

その神秘性を、これからも私は追いかけ続けるでしょう。
何度聴いても、色褪せるどころか、言葉に尽くせぬ感動が押し寄せて来る、奇跡の作品…
そんな作品に出逢えた幸せと感謝を、これからも抱きしめて、生きていこうと思います。
この度の再販、本当に本当に嬉しいです。
関係各位に、心から、ありがとうございます…とお伝えしたいです。