あの原山|導きの法則Ⓡ

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Mentor of Mentor
拠点:神戸 / 六甲道
商標登録:導きの法則Ⓡ 恋人目線マーケティングⓇ

 

訪問介護事業所を営む渡辺さんの悩み

「先生、ニュースレターを作り始めたんですが、毎回送るのが怖くて」

そう話してくれたのは、小規模な訪問介護事業所を運営する渡辺さんだった。

利用者さんのご家族向けに、月一回のニュースレターを始めて4ヶ月。スタッフの紹介や、日々のケアで気づいたこと、季節の健康情報などを載せていた。でも毎回、送信ボタンを押す直前に手が止まる。

「こんな内容で大丈夫かな、読んでもらえているのかな、迷惑じゃないかなって。先月は結局3日遅れて送って、今月はもう1週間遅れています」

「送った後、反応はありますか?」

「たまに『読みました』と言ってくださる方がいて。先日は娘さんから『母がいつも楽しみにしています』という言葉をいただいて」

「それを聞いた時、どう思いましたか?」

「すごく嬉しかったです。でもまた次を書く時には、同じ不安が戻ってきて」

私はその言葉を聞いて、渡辺さんの本当の問題が見えた気がした。

「渡辺さん、その不安は、消す必要がないんですよ」

 

「不安がない人」の言葉は、なぜ薄いのか

発信や文章の相談を受けていると、二種類の人がいることに気づく。

「届いているかな」という不安を抱えながら書いている人と、そういった不安をほとんど持たずに書いている人だ。

一見、不安のない人の方が強そうに見える。「これが正しいケアです」「こうすべきです」と迷いなく言い切れる人は、頼もしく見える。

でも受け取る側の立場になると、少し違う景色が見える。

言い切る言葉は、確かに力強い。でも「この人は私のことを考えて書いているのかな」という温かさが、どこか薄い。情報としては伝わるが、心には届きにくい。

逆に、渡辺さんのニュースレターのように「ちゃんと届いているかな」と祈りながら書かれた言葉は、不思議と温かみがある。読んでいるご家族に「この人たちは、うちの親のことを本当に気にかけてくれているんだな」という空気が伝わる。

言葉の温度とは、技術から生まれるのではない。相手への想いの深さから滲み出るものだ。

 

恋文と、ニュースレターは同じ構造を持つ

大切な人に手紙を書くとき、どんな気持ちで書くだろうか。

「この言葉、ちゃんと伝わるかな」「こういう書き方は失礼じゃないかな」「読んでどう感じてくれるだろうか」

そういった問いを何度も自分に投げかけながら、一字一字を選ぶ。届くことを祈りながら、書いては直し、直しては書く。

渡辺さんが「送るのが怖い」と感じていたのは、まさにこれだった。

利用者さんのご家族のことを、深く想いながら書いていたから、簡単には送れなかった。「これで本当に大丈夫か」と何度も確認してしまうのは、相手への誠実さの表れだった。

届けたいという祈りが、言葉に命を吹き込む。「楽しみにしています」と言ってくれたお母さんの心に届いたのは、渡辺さんの文章技術ではなく、その祈りだったはずだ。

 

「不安」の向け先を変えるだけでいい

とはいえ、不安が強すぎると、渡辺さんのように送信が遅れ続けてしまう。

私が提案したのは、不安を消すことではなかった。不安の「向け先」を変えることだった。

「読んでくれるすべてのご家族に届くかな」という漠然とした不安ではなく、「あの方のお母さんに届くかな」という具体的な一人への祈りに変える。

渡辺さんに聞いた。「ニュースレターを書くとき、誰かの顔を思い浮かべていますか?」

「あまり意識していなかったです」

「次回からは、一人だけ顔を思い浮かべて書いてみてください。たとえば、先日『楽しみにしています』と言ってくれた方のお母さん。その方が読んで、少しでも安心してもらえたらいいな、という気持ちだけを持って書いてみてください」

漠然とした「みんな」への不安は消えないが、「あの一人」への祈りは、むしろ言葉を深くする力がある。

 

渡辺さんのニュースレターが変わった日

翌月、渡辺さんは初めて締め切り通りにニュースレターを送れた。

内容に大きな変化はなかった。でも書き出しが変わっていた。

「今月も皆様にお便りをお届けできることを、スタッフ一同、嬉しく思っています。このニュースレターが、少しでも皆様の安心につながれば、と祈りながら書いています」

送った翌日、これまでで一番多くの「読みました」という声が届いた。中には「毎月届くのを楽しみにしています。スタッフの方たちが本当に丁寧に関わってくださっているのが伝わって、安心しています」という長いメッセージもあった。

渡辺さんから連絡が来た。「先生、祈りを乗せて書いたら、ちゃんと伝わりました」

技術を磨いたわけではない。ただ、届くことを祈りながら書くという姿勢を、言葉にして届けただけだった。

 

「届いているかな」という問いが、発信を深くする

「届いているかな」という不安には、もうひとつ大切な側面がある。

それは、文章の質を自然と上げ続けるエンジンになるということだ。

「届いているかな」と思うから、言葉を選び直す。「伝わっているかな」と思うから、もう一度読み返す。「不安にさせていないかな」と思うから、表現を慎重に選ぶ。

その繰り返しが、発信のひとつひとつを深くしていく。

不安を持たずに書き続ける人の言葉は、慣れとともに薄くなっていくことがある。でも「届いているかな」という問いを持ち続ける人の言葉は、書き続けるほどに温かくなっていく。

その不安は、手放す必要がない。むしろ、大切に持ち続けてほしいものだ。

 

今日の問いかけ

もし今、発信や文章を送ることへの不安を感じているなら、こう捉え直してほしい。

その不安は、受け取る側のことを真剣に想っている証拠だ。無神経な人は、届くかどうかを気にしない。気にしているということは、それだけ相手のことを大切に思っているということだ。

今日、一人だけ顔を思い浮かべてほしい。今この瞬間、あなたの言葉を必要としている、あの人の顔を。

その人に向けて、一通の手紙を書くつもりで、今日の発信を届けてみてほしい。

届くかどうかは、分からない。でも届くことを祈りながら紡いだ言葉には、必ず温度が宿る。そしてその温度こそが、読んだ人の心を確かに動かしていく。

あなたの不安は、弱さではない。それは、相手を深く想っているという、何よりも誠実な証拠だ。