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いよいよサンフランシスコです

 

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1977年3月6日

場所はウインターランドアリーナ

収容人数は5400とのこと

ピーターフランプトンのFrampton Comes Alive の主な舞台だそうです

(猛烈に聴きたくなりました)

 

1978年と言われる外観

 

   

 

1977年 同会場でのグレイトフルデッドのコンサート

セット設営とライブ中の写真がありました

多分クイーンと同時期

当時の雰囲気がとても良くわかるので載せておきます

 

   

 

   

 

新聞広告かチラシですね

日にち違いで何枚か

 

   

 

   

 

ライブの写真もあります

(たくさんありますが借りられないものも多かったです)

 

   

 

   

 

   

 

   

 

短い動画があります

音も映像も良くないのですが雰囲気はよくわかります

 

 

このコンサートについて

コンサート詳細サイトよりの記事を

かいつまんでご紹介します

 

まずはこの日のライブについて

コンサート詳細サイトよりお借りします

 

マットグランツはこの日の(と思われる)出来事について

次のように語っています

「私のバンド『ザ・ウィンドウペンズ』で別々の時期に演奏していた2人のベーシストがいました

彼らは70年代半ばから後半にかけて

サンフランシスコのウィンターランドで

クイーンのショーのために列に並んでいた時の話をしてくれました

クイーンがリムジンで到着し 

降りて彼らの横を通り過ぎた時

ブライアンが必死にギターを握りしめていたという同じ話をしてくれました

このふたりのベーシストは当時も今もお互いのことを知りませんでしたが

その夜はお互い唾を吐く位置にいたに違いありません

奇妙ですが本当です!」 

 

こちらのマットグランツさんの詳細は不明で

このバンドもメジャーではなさそうなんですが

ときどきクイーンに関することを発信されていたようです

 

次にその日のちょっと特殊な客層について

 

決してクイーンが同性愛者だけの観客を集めたわけではありませんが

サンフランシスコはゲイ シーンで有名です

その点を踏まえてシンリジーのスコットゴーハムは

このショーの思い出を次のように語っています

「私はステージの左側を駆け回って

右側の観客をからかってやろうと思ったんだ

スポットライトが追いかけてきてそこに行って見上げると、

今まで見た中で最もゲイっぽい男たちが500人くらいいたんだ!

彼らはスパンコールのホットパンツ、サテンのジャンプスーツ

巨大なダチョウの羽根が付いた大きな帽子つばの垂れ下がった帽子をかぶって

席から飛び上がって羽根のボアを空中に投げていた!

私が彼らの側に着くと全員が

「イエ― シェイクイットボーイ!」

と叫びながら突進してきた

ああ 私は「ちょっと待て 友よ!

私はそんな接触にはまだ準備ができていないんだ! 

でも私はもう見つけられる限り左端に一直線だ!」と思ったよ」

 

観客にゲイと思われる方が多かったこと

書かれてもありますが

サンフランシスコという場所柄もあるんでしょうね

(フレディの羽根付き帽子を思い出しちゃいました)

 

この部分もお借りします

このコンサートが今日開催されたことについて

最初よく意味が分かりませんでしたので

ちょっとややこしい事情があるようなので

 

この公演は

サンディエゴ公演のスペースを確保するために

前夜から再スケジュールされました


フレディは1981年のインタビューで

このライブ中に声が出なく位なったと明かしました

ステージを降りる時

本当にひどいライブをやったと感じたことはあるかと聞かれると

彼はこう答えた

 「そうだね、たまにはね

僕らはみんなで叫び合って、楽屋を破壊してエネルギーを解放するんだ

僕らは自分たちに非常に高い基準を設定しているんだけど

観客の99%はひどいライブに対する僕らの評価には同意しないだろう

サンフランシスコでは声が出なくなりひどい状況だった

声域は実質的に単音の限られてしまった

それでも全力を尽くしたが 

ひどいパフォーマンスだったことはわかっていた

ツアーのスケジュールを変更し3、4公演を中止しなければならなかった

私の声帯には結節があり

ほとんどのツアーは今では私の声に合わせてスケジュールされているよ」

 

 (実際には3月8日と9日にそれぞれサクラメントのメモリアルオーディトリアム

フレズノのセランドアリーナで

シンリジーが両夜ともトップに昇格しサミーヘイガーがオープニングアクトを務めた)

 

ブライアンは数か月後のキャピトルラジオのインタビューで

ツアーの終盤を回想している

「フレディの声はこのようなツアーでは本当に酷使されます

特に5夜連続で演奏する場合には時々そうでした

終盤に近付くにつれ彼は大変の苦労をし

声を安定させるためにツアーの合間には会話をせず

あらゆる種類の薬を服用するほどでした

調子を整えるために多大な努力を払っていた

そのせいで僕らはいくつかのギグを失ってしまった

全体として、私たちは非常にうまく行ったと思います」 

 

この話は

コンサートがふたつキャンセルになってしまったこと

そのコンサートは実際には中止にならず

シンリジーをヘッドライナーとして行われたこと

その上

実際はサンディエゴのコンサートが違う日程だったという話もあり

予定なのか実際なのかよくわかりませんでした

もう一回きちんと噛み砕いて

時系列を載せたいと思います

 

 

とにかく完走まであと少し

 

 

辛いかもしれないけど

頑張って歌ってください!!