お立ち寄りいただき
ありがとうございます
書き始めたのはずいぶん前
大変しつこく書かせていただいている
クイーンファンクラブの話
あまりに長かったので
その2として分けました
今回は辞めてしまうときのお話です
何回目かの彼女たちの写真
どう探してもこれしかありませんでした
前回の記事↓
彼女たちが辞めたこと
どんな経緯があったのか
1976年のファンクラブ会報にて
ブライアンの手紙として
書かれてあったそうです
こちらの記事より
その部分を抜粋してお借りします<(_ _)>
さて
ジョン、フレディ、ロジャー、そして僕自身と君たちとの関係が
とても大事なファンクラブへと僕を導いた
ところで我々の場合
ファンクラブは本当に「ファン」のためのクラブだったことがない
クイーンは幸運にも「ポップスター」として僕たちを崇拝するのではなく
もっと深い何かを僕たちと分かち合えると感じてくれる観客に恵まれている
言葉にするのは難しいが、ロックミュージックだけがもたらすことのできる
ある意味での親密さと結びついているものだ
僕らが最も誇らしく思うことのひとつで
それに突き動かされている
パットとスーは
僕らの音楽を聞いたことある人は半ダースほどだった時代からの友人だ
二人は
音楽を放り出さずにはきちんと返事を書けない数の手紙が僕たちに届き始めた頃に
「クイーンファンクラブ」を始めた
「ファンクラブ」という呼び方については何度も話し合ったが
大げさに聞こえないものはそれ以外思いつけなかったんだ
ファンクラブが大きくなるにつれ
パットとスーが費やす時間はどんどん増えて
間もなくフルタイムで働いてもらうよう頼むことになった
二人は僕たちと
僕たちに特別な関心を持ってくれる人たちとの連絡窓口になった
この前のツアーで
僕たちはファンクラブがうまくいっていないという連絡を受けるようになった
あれだけ遠くにいて演奏に没頭していると
きちんと連絡を取り続けるのは難しい
会費の支払いの確認や領収書を受け取っていない人が大勢いると聞いた
パットとスーはクイーンについての本を執筆中で
郵便物に対応する時間がなかったんだ
ところで
この「本」に関することはすべてが悪夢だった
僕らはそもそもアイデア自体にそれほど乗り気ではなかった
でも他にもそういう本を書いている人たちが(僕たちに会ったこともない人たちだ)いたので
パットとスーに「公式ストーリー」を書いてもらうのはいいアイデアではと説得された
そこからどうなったのかは混乱しているが
日本で本の原稿を読んだら
- 真実を全く伝えていない(と僕たちは思った)ものになっていた
せめて謝意は表せるはずと思っていた
初期に助けてくれた人々のことが書かれていなかった
イギリスとアメリカでの初期のギグもだ
無名からブレイクしてクイーンを本物のバンドにしてくれたものだったのに
パットとスーが悪いのではない
二人はどこか途中で
僕たちが差し替えを望むような内容を書くよう強いられたんだ
ただ一番悲しいのは
本の内容の多くから
彼女たちと我々の間にはもう長い間亀裂が広がっていたと気づいたこと
そしてそのことから僕たちは突然
ファンクラブがクイーンと接点を失う危機に直面していると感じ
すべてを考え直すべき時だと思った
スーはEMIに移った
パットはフルタイムのライターになる
この状況全体が悲しいが
かつてあった信頼を取り戻す唯一の道なのではと思う
- 僕らの友達が僕らに雇われているという状態を解消することが
二人の成功を心から祈っているし
僕はこれが物語の終わりだとは思わない
ひとつの段階に過ぎないんだ
今後については長い時間真剣に考えた
全英ツアー以来
世界中でクイーンをとてもよく世話してくれているピートブラウンの手助けで
テレーズという大変特別な女性を見つけ
ファンクラブのことを長い時間話し合った
彼女は僕たちのニーズと問題点を理解している
今は巨大な手紙の山にアタックし始めている
とても勇気のいる任務だよ!
ファンクラブをかつてないほど最高のものにするため
我々は力を注ぐつもりだ
最初にやりたいのは
クラブ運営の純粋に機械的な側面の重荷をすべて取り除くこと
テレーズが彼女の望みどおり
とても個人的な絆的な存在でいることに集中できるようにね
だから、このニュースレターを送るために一万件ぐらいの住所を書くよう彼女に頼む代わりに
特別な郵送システムでの処理を試す予定だ
君たちが手を挙げて
「何? 郵送システム? なんて機械的な!」
と言うのが聞こえるし僕も同感だ
でもどうか我慢してほしい
それでテレーズはひと息つき
君たち(と僕たち)を知る余裕ができるのだから意味があることだ
なのでどうかどうか彼女に君たちの忍耐と理解をお願いしたい
そしてファンクラブが君たちのためにできることで何か他にアイデアがあれば
手紙で教えてほしい
こういうことがあったのですね・・・
仲違いをしてしまったように読み取れるのが
とても悲しいです
彼女たちについて
クイーンファンクラブ内で取り上げられているものがないか
探してみました
2014年の会報です↓
前回書いたパットとスーの話も出てきます
この会報はフルカラーで
興味深い写真も多いです
次を引き継ぐことになった
テレーズさんの顔写真も載っています
https://www.queenmembers.com/magazine-archive/_resource/2014/qfc-mag-summer-2014-print.pdf
こちらは2016年のもの↓
彼女たちのこと文字で少しだけ出てくるようなのですが
それより写真が楽しいので見てくださいね
http://www.queenmembers.com/magazine-archive/_resource/2016/oiqfc_magazine_2016_spring.pdf
そして比較的最近に近い彼女たちの近況
2018/01/15
— A sad message from Jim Jenkins:
"We have heard some sad news.
One of the original Fan Club Secretaries
Pat Johnstone has sadly passed away.
ジムジェンキンスさんより悲しい知らせが届きました
ファンクラブの最初の秘書の1人であったパットジョンストンさん
残念ながら亡くなりました
詳細は一切かかれていなく
外部の人間である私達には
詳しいことはわからないまま
でも
初期のクイーンを支えてくださっていたのは
間違いなくジョンストン姉妹のおふたり
パットさん
心よりご冥福をお祈りします
彼女の名前でもう少し何かないか
検索してみると
こんな記事も載っていました
少し前の記事です
2011年2月8日火曜日(この記事が書かれた日付です)
数日前の夜
私(筆者の事)はパットジョンストンと電話で2時間以上話しました
彼女には
1970年にトゥルーロ市庁舎で行われたクイーンの最初のライブの側で
何年もの間
本当に魅力的な思い出がいくつかありました
・・・海軍兵器庫で働いたことから
パジャマでフレディがスマイルで歌う姿を見たこと
そしてフレディとブライアンを自宅に住まわせたことに至るまで
トゥルーロのライブの週末
ケンジントン・マーケットでの仕事
クイーンのファンクラブの設立
これを読んでいるならパットさん
ありがとう
ここに市庁舎の最近の写真があります
この外観は
クイーンがそこで最初のライブを行ったときから変わっていません
この記事には
1970年6月27日
初めてここでクイーンとしてライブを行った記念すべき場所
トゥルーロの市庁舎の現在の姿も載せられていました
この時
クイーンとパットとスー姉妹は
友人であったはずなんです
(このお話は以前何回もブログに書いています
またまとめを書きたいとも思います)
何だかとても寂しい・・・
スーさんはどうなさっているのか
こちらも気になります
どうかお元気でおられますように
※ 記事画像等すべてお借りしました
また
次の担当者
テレーズさんについても調べてみます
ただし彼女も比較的短期間で辞めてしまわれています



