お越しいただき
ありがとうございます

 

前にトライデント社とクイーンのことを

書かせていただきました

 

その記事↓

 

 

そこにトライデントのHPを載せたのですが

内容は

フレディの写真付きで

ほぼクイーンのこと!!

うちが育てたとか

うちでレコーディングしたよとか

ボヘミアンラプソディまでトライデントのおかげにむかっむかっ

いなくなっても

まだクイーンで商売するんかい!

みたいに突っ込んでいました

 

ところが数ヶ月前

このアドレスが売りに出されていて

びっくり

値段も書いてありました

 

で先ほど見たら

もうない・・・

ページ自体にアクセス出来なくなっていました

 

でもよく調べてみたら

1981年にはスタジオは

もう売り出されていたようで

 

トライデント社って一体どうなっちゃったんだろう?

 

あちこちから拾ってきます

 

トライデントスタジオは

経営困難になり1981年に3か月間閉店し

最終的に売却されました

それ以来スタジオは

さまざまな名前で営業されており

現在でもテレビの録音とミキシングを専門とする

「トライデントサウンドスタジオ」

という名前で運営されています

 

今のトライデントスタジオ内↓

 

   

 

こちらの写真

↓よりお借りしました

 

 

ちょっとだけ歴史をたどってみます

 

トライデントスタジオは

1967年開業

 

トライデントスタジオの逸話で

最も有名なものが

ビートルズが使用したということ!

 

1968年7月

ビートルズがヘイジュードのレコーディングのため

初めてこちらを訪れました

 

同じ年

ビートルズのホワイトアルバムのセッションで

このスタジオを使用した音声が残っていました

8月1日のことだったそうです

 

 

それから

こちらでレコーディングしたアーティストのリストを見ると

デヴィッドボウイ   エルトンジョン

フリー   シンリジィ   クイーンなど

その頃音楽の流行の先端であっただろう事が

見て取れます

(と英語の記事に書かれてあった!)

 

トライデントスタジオの

場所や雰囲気はこちらをどうぞ↓

 

 

そして

スタジオの代名詞である

トライデントピアノ

 

100年以上前の手作りの

ベヒシュタイングランドピアノで

「史上最高のロックンロールピアノ」

とよく言われます

ロンドンのミュージックショップSamuelsによって

20年以上スタジオにレンタルされ

1986年に購入されました

 

ハンマーが硬いために

演奏が難しいことで有名でした

にもかかわらず

このピアノの提供した明るく透き通ったサウンドは

多くのミュージシャンを魅了し

デヴィッドボウイのアルバム スペースオディティ ジギースターダスト など

クイーンはアルバム ファーストアルバムからシアーハートアタック まで

エルトンジョンはアルバム グッバイイエローブリックロードなど

膨大な数の曲とアルバムに使用されました

 

トライデントピアノ↓

 

   

 

こうやってフレディも弾いていたのですね!

 

   

 

YouTube上に詳しく説明の動画がありました

クイーンは3分あたりからです

 

 

2011年5月

ピアノは30万ポンドから40万ポンドでオークションにかけられましたが

購入者も売った人物も

公に明らかにされていません

実際2001年11月にもオークションにかけられていましたが

その時は売れませんでした

 

ベヒシュタインは世界3大ピアノのひとつ

ちなみに

ベヒシュタインピアノのカタログのサイトを載せておきますので

よろしければご覧ください↓

 

今回2000万円位のものまで

取り揃えております(笑)

 

 

シェフィールド兄弟と

トライデントスタジオの歴史は

クイーンの初期の頃の話を抜きにしては語れないでしょう

 

シェフィールド兄弟は

ダウンタイム(午前3時から午前7時)の間だけ

スタジオを使用と録音を許可する事を

バンドと合意しました

これはレコーディングの過程を苦痛な経験に変え

その上アルバムが完成した後

人気に火をつけるためのレコード発売のはずが

ノーマン達はリリースするためのレコード会社を

見つけることができませんでした

 

最終的に8か月後

Tridentレーベルでアルバムをリリースしました

セカンドアルバムのリリースの際にも

同じ話が繰り返され

数ヶ月後英国でのみ発売されました

 

トライデントレーベル所属一覧はこちら↓

 

 

このことで

クイーンとシェフィールド兄弟の間に亀裂が出来

我慢できなくなったクイーンは

1973年にEMIレコードと契約しました

 

最初の4枚のアルバムは

こちらのスタジオが使用されていました

 

1975年

クイーンのアルバム「オペラ座の夜」には

ノーマンが彼に対する個人的な攻撃と受け取った曲

Death On Two Legs が含まれていました

クイーンとEMIレコードを訴えようとしましたが

EMIはノーマンと法廷外で解決させたようでした

(またも印税の1%を解決金として払ったらしいです)

 

   

 

トライデントスタジオでの他にない特徴は

音響エコーチェンバー(音響のための部屋)

別の部屋(隣接した男性用トイレ)と増やされたことでした

専用のエコーチェンバーはありませんでしたが

トイレは必要な適切な金属音を出すのに役立つようにタイル張りにされていました

70年代後半にマイクが常時設置されていたため

エコーサウンドとして頻繁に使用されていました

(トイレとして使われていたかは不明

トイレの音が残っていないことを願うと記事にありました)

 

   

 

トライデントのもう1つはテープの複製事業で

(ダビングって言う事?)

英国で最初にこのサービスを提供しました

 

ノーマンは

カーオーディオシステムカセットと

8トラックカートリッジの使用状況を取り入れて

新しいサービスを展開

彼は米国から専門機器を輸入し

音楽業界の連絡先を利用して

テープ再生契約を確保しました

(こちらはおいしい商売だったようです)

 

また

ミュージックビデオが

次のビッグビジネスになるだろうと気付き

ビデオ制作部門であるTrillion Videoが設立され

ボヘミアンラプソディは

彼らの最も有名なビデオの1つになりました

 

この写真は1974年レコーディングの合間に

トライデントスタジオの向かいから撮ったものだそうです↓

 

      

 

そしてトライデントスタジオの現在↓

デビッドボウイのブループラーク(歴史的建造物)に選定されており

観光名所になっているそうです

(フレディじゃないのね😅)

 

   

 

   

※ 画像 記事 すべてお借りしました

 

ちょっと観光案内風に

たどってくれている動画がありますので

載せておきますね

 

 

で結局

ノーマンも亡くなってしまったし

トライデント社って

何なんだろう?

何だったんだろう?

 

書いてても

業務内容的なこと以外

何もわからないし

ツッコミようもない

 

大体トライデント社と

トライデントスタジオの

明解な線引きがわからない

(・・・多分トライデント社が経営するスタジオが

トライデントスタジオなんだろうけれど)

 

でも

悲しいかな

今私達のもとには

 

悪名だけが残っています

 

 

機会があったら

トライデントと

クイーンのことだけ

書くしかありませんね・・・

 

・・・また探してきます