お越しいただき
ありがとうございますm(__)m
独立を宣言し
(お金はないものの)
自由を手に入れる予定のクイーンの皆様
さあもう
次のアルバムのレコーディングに入らないとなりません。
まずとっかかりとして
楽しそうな写真ばかりのサイトを見つけたので
ぜひ皆様にご紹介![]()
(見たことがあるもの多いけど)
記事の最後のフレディの胸毛ボーナスカットににんまりします
1975年7月
レコーディングに向かって
リッジファームからスタートします
この時はリラックスしている(ように見える)写真が
たくさん上がっています
(その印象はミュージックライフ誌の影響かもしれません
ミュージックライフが取材に行った日は7月14日ということです)
リッジファームスタジオとクイーンの面々
数日前ファンクラブのインスタにあがっていた
リッジファームの写真
ブライアン細すぎ・・・
↓このジャケットはここで撮影されている
この時のレコーディングについての
後の記事やインタビューよりお借りします。
4枚目のアルバム
1975年の『オペラ座の夜』のレコーディングの時、
クイーンは自分たちの時代が来たと感じていた。
フレディには大げさなほど壮大な曲のアイデアがあった。
1975年8月24日
ウェールズにあるロックフィールドスタジオで
「ボヘミアンラプソディ」のレコーディングを開始した。
↓ロックフィールドスタジオ
当時これまでに作られた中で
最もお金のかかったシングルだった。
3週間にわたって録音され
フレディは事前に曲を慎重に準備し、
セッション全体を通してバンドを監督していた。
180回の個別のボーカルオーバーダブを行ったので
トラック数が多すぎてテープが透けるぐらい擦り切れ、
それ以上レコーディングを重ねると切れてしまいそうなほどだった。
こんな感じを録っていたのでしょう!
ヴォーカルとオペラパートの部分のみのアカペラヴァージョン
フレディのリードヴォーカルでさえ
幾重にもなっているところがあり
あらためて驚きました
ジョンパートアカペラって書いてある動画もあって
全くの無音![]()
これには笑いました
すべてのトラックの制作に、
SARM(East)、Scorpion、Wessex、Roundhouseの4つのスタジオが使用された。
この曲についてその後
「あの曲はフレディの子どもなんだ」とブライアンは語った。
(原文は子ども→Babyと言っているみたいです)
この記事に補足させていただくと
1974年10月27日
トライデントスタジオでレコーディングが開始されます
しかし独立騒ぎがあり中止に
1975年8月にレコーディングを再開します
8月から9月はロックフィールドスタジオ
10月から11月は上記の4つにオリンピックスタジオを含めた5スタジオ
という話でした
(ランズダウンというスタジオが入っている記述もありました
この辺はこの際どちらでもいいですよね)
その後
アルバムの発売期限ギリギリまでミキシング等の作業は続き
ボヘミアンラプソディをラジオで放送するくだりの時には
(映画にもあるケニーエヴェレットとの話)
まだアルバムは完成しておらず
完成パーティー等に
クイーンのメンバーが遅れてくるということも
多々あったそうです
またロックフィールドは
シアーハートアタックのレコーディングでも
使われたスタジオです![]()
ちなみにですが
ロジャーが
アイムインラブウイズマイカーを
ボヘミアンラプソディのB面に入れてくれと懇願し
入れてくれるまでここから出ないと倉庫(食器棚?)に立てこもったという
レコーディングスタジオ
それは上にも書かれてあるサームスタジオだそうです
イーストとウエストやヴィレッジがあるんですが
イースト↓です
※ 画像すべてお借りしました
オペラパートあんなに頑張ったのだから
(正直ロジャーがいなかったら出来ていないと思ってる!)
シングルのB面にしてあげてもいいよねって
勝手に思いました
でもこの頃のクイーンについて
疑問がたくさんあります。
話がめちゃめちゃ長くなるので
すみません二つにします。
続きは次回m(__)m





