観に行った映画「90歳何がめでたい」の原作者は佐藤愛子さんで、私はこの方と誕生日が一緒。
あと、ビィビィアン・リーも同じで、これは私の誉れです。
お二方ともに美しい。
私はルッキズムと言われようが、美しい人を美しいと言って何が悪い主義ですからね。それに才能があればもうひれ伏します。
佐藤愛子さんの魅力は、これもまずいのかな。
男気です。何もかも引き受けて奮闘するところが。
夫の借金を全部えーいめんどくさい、私が返すと啖呵を切り怒りながら仕事に邁進するところも好きですね。
私、痩せ我慢って好きなんですね。
私が熱心に読んでた頃、まさしく書きなぐりながら、人生相談を受け、テレビでコメンテーターをして講演会で喋り凄い馬力で過ごされていました。
彼女は、大作家の佐藤紅緑の娘で何不自由なく愛されて育ちながら、そういう男気で損するとわかっていても引き受けてしまう。
自己破産だの私は関係ないなどは卑怯なのでしない。
子供心に大変だなあと思いながら、遠藤周作さんや北杜夫さんとの交友録も楽しく読みました。
そういう彼女が書かれた中で印象深いのは、彼女は左でも右でもない人ですが、いわゆる進歩的な男女について記したことです。
口では、男女同権を口角泡を飛ばして声高に主張する人を見ながら、あんたの家庭はどうなんだと呟き、女の権利を声高に語り政治を非難する女に、このもてなしを私一人にさせて労いの言葉なくタバコをケーキの皿で消すような女の語る権利なぞと冷笑してました。
裏表、建前と実践の乖離ある人をとても嫌うところも一貫してますね。
血脈と晩鐘を読み、彼女は腰を据えてこういう文学たるものを書きたかったのだなと思いました。
借金のためテレビで色物的な発言を期待されて怒りながら誠実に語られていたのを思い出します。
ある野球の監督と恋愛関係にあったのを週刊誌がゴシップとして取り上げた時、長文の抗議文を書かれてそれを私は読みましたが、ご自身を荒くれ者的に書かれ、私には何を言っても良いが彼を構うな的な徹底的にお相手をかばう姿勢は侠気溢れていました。
私にはそんな意気地はありませんが、この方の逃げずに背負う姿勢は恐らく私にも少しは影響あったように思います。