父が亡くなり、もう1ヵ月が経った。

早く書いて置かないと忘れそうなので、

文章はめちゃめちゃかもしれないけれど、書き残しておく。

 

父の死に方はある意味、理想的なものだったのかもしれない。

もちろんもっと生きてほしかった。80代、90代の父をお世話したかった。

父は大腸がんが分かってから、手術、抗がん剤、放射線治療のすべてをやったけれど、

どれが良かった、悪かったとかは、比べようがないので全く判断できない。

外科手術をしたあとはやっぱり体がつらそうだったけど、

もし手術をしなかったらどうなっていたのだろうって思う。

どうせ術後は2年弱しか生きられなかったのだから、お腹を切らずに過ごしたほうがよかったのかなあ。

でもそれはもうわからないし、考えてもよいことはない気がしてます。

 

父は一気に悪くなるというよりは、徐々に徐々に悪くなった。

車椅子に頼るようになったのは、亡くなる半年ぐらい前から。

それでも数歩は歩けたので、亡くなる2ヵ月前までは外に出て、サポートは必要だったが数歩は歩いていた。

 

まったく歩けなくなったのは亡くなる1ヵ月半前。

トイレに行くのが危ないからと完全おむつになったので、身体を起こす時間が大きく減った。

トイレに行く気力がなくなったことが、衰弱に拍車をかけたのかもしれない。

ちょっとしんどくても、トイレに行く機会を作ったほうがよかったのかなあ。それも今となってはわからない。

 

そして寝たきりになったら一気に言葉も減った。

そして亡くなる一ヵ月前に発熱して入院。軽い肺炎と腎盂炎ということで1週間入院した。

コロナ禍で面会はできず、1週間後に医師に呼び出され、ようやく父に面会できた。

その時、「あと長くても1ヵ月、短ければ明日ということもあります」と言われた。

「病院は満床のため、転院先を探すか、在宅か…。ご家族さんの負担も考えて決めてください」と言われた。

コロナ禍だから、転院したらもう会えない。迷いなく、「在宅で」と返事した。

 

そして在宅介護が始まった。結果的に医師がいった通り1か月の在宅介護。家族もがんばれる期間だった。

長くても1ヵ月なら、できるかぎり介護サービスに助けてもらおう。そのほうが父も快適だろうし、と、

訪問看護師さんは毎日、ヘルパーさんも毎日、リハビリさんは週2日、訪問入浴は週1日という頻度でお願いした。

お風呂好きだった父は、久しぶりに湯船に浸かることができて、嬉しそうだった。

(結果的にこれらの費用は、計6万円ちょっとだった)

 

最後の一ヵ月、父は少しずつ少しずつ衰弱した。

退院後は毎日500mlの点滴。退院後2週間ぐらいはゼリー状のものなどをちょっとずつ食べれていたけれど、

亡くなる1週間前からはほぼ点滴だけ。

日に日に父がどんどん細く、身を削っていっているのがわかった。

目はくぼみ、頬骨が浮き上がり、手の甲の骨も浮き上がっていた。

段々と言葉も発せなくなったが、かろうじて、返事をしたり、看護師さんやヘルパーさんの帰り際に「ありがとう」と声を振り絞っていた。

 

亡くなる2日前ぐらいに、お尻とかかとに褥瘡ができ始めた。

エアマットを使っていたから、なかなか褥瘡もできなかったのだけど、ついにできてしまった。

痛いんじゃないかな、かわいそうだな、つらそうだな・・・・と、こっちがつらくなってきた。

でも見るからに、あと数日なのかな?と思う状態だったこともあり、あと少しだけがんばってと心の中でお願いした。

 

そしてその二日後、父は、いつの間にか息を引き取っていた。

在宅介護だったのに、最後の瞬間は看取れなかった。

まさに、枯れるように逝ったのだ。

痛み止めが効いていたからか、痛みで苦しむということもほぼなかった。

本当に死んじゃったの? キツネにつままれたような感覚になった。

お父さん、お父さんって何度も呼ぶけれど、父は目と口を開けたまま動かない。

息もしていない。

肩をさすりながら、お父さん、お父さんと何度も呼んだ。でも父は固まったままだった。

ああ、本当に旅立ったんだ。お父さん、そんなふうに逝くから、ありがとうって言いそびれたよ。

母も目を真っ赤にした。

 

急いで訪問看護ステーションに電話。看護師さんがかけつけてくれ、父の状態を確認。

医師を呼んでくれた。

手術も外来も往診もずっとしてくれていた外科医だ。

最後もこの医師に死亡確認をしてもらえて、良かったと思っている。

 

そして医師と看護師さんは、泣きじゃくる私たち家族に笑顔でこう言ってくれた。

「住み慣れたお家で家族にそばにいてもらえるという人は今はとても少ないんです。お父さまはとても幸せな最期を迎えられたと思います」

 

本当に幸せだったかはわからないけれど、その言葉にとっても慰められた。

お医者さんと看護師さんがそう言ってくれてるならそうなんだろうって思いこむことで

張り裂けそうな心が慰められた。

 

それからしばらく泣いていた。

そして親戚や父の友人に連絡を入れた。

葬儀社にも。

1~2時間後には葬儀社の人が来て、手際よく父をドライアイスで冷やし始めた。