先日、引っ越し作業を一旦、そのままにして、騎乗しに出かけた。


常磐道は、いつものように、快適な走行ができた。

いくつかの大きな川を越えると、風景はもう違ってくる。

悠然とした筑波山を遠くに見ながら、しばらく走っていくと、目的地にも大分ちかくなる。


そこここに、栗の木が見える。その丸い、いがいがが、大きく青々としてきたら、栗の収穫時期なのだろうか?


さて、前回の騎乗では、馬の気持ちがわかっていないのでは?という疑問にぶつかった。


何故、ルーベンスは、経路で隅角を過ぎた辺りから、駈歩をあのように速く走り出したのか?また、何故、インストラクターは、私に、駈歩を止める指示をだしたのだろうか?


単刀直入に、その辺りのことを、お尋ねしてみた。


隅角で、馬の速度を落としたくないと思った私が、平常心を忘れて、必要以上に、騎座を動かし過ぎた為、馬は、その苦しさから逃れようとして、暴走体制になってしまったようだ。それをいち早く、察知した、インストラクターが、私に、馬を止める指示を出したということのようだ。


騎座の安定こそが、馬に、心地よい走りを促すというわけだった。多分平常心を忘れた私は、手綱を持つ手も、上下に揺れていたことだろう。


力づくでは、騎乗していないと、自負していたのに、ナンテコッタ。私も、力任せの、若い男性騎乗者と同じだったのだ。


楽しく、心地よく駈歩ができている時は、馬もハミを受けて、心地よく走っている時が多いかな、と、インストラクターに告げられた。


平常心で、人馬共に、楽しい騎乗を心がけよう。

もっと、馬の気持ちを、理解して騎乗できると、いいなと、思ったのだった。。