教会という場所は、

優しさや思いやりが当たり前にある場所だと、

私はずっと思っていました。

 

だからこそ、何年も、どうしても理解できない出来事が続いても、

「私の心が狭いのかな」

「私が気にしすぎなのかな」

と、自分を責め続けてきました。

 

でも、やっと分かったのです。

 

問題は「性格」でも「悪意」でもなく、


**“認知のタイプの違い”**


だったのだと。

 

 

 

私には、

どうしても生理的に受け付けない

女性がいます。

 

ミサの後、

私が教会の友達とランチに行く時、

「私も行っていいですか?」

と一度言われ、もちろんOKなので

断わる理由もない。

それ以来、

必ず私の後をついてくるようになりました。


例えば、

大勢の中で10年ぶりに教会へ来た友を

見つけそこへ駆けつけて話しこんで

たら、、、


いつの間にかいるんです😱


そう、彼女が何メートルも向こうから

跡を混雑した中を掻き分け私の横に💦

そして、私の昔の友と私と同じ口調で

喋るのです。

 

席を離れても、

気づけば真後ろにいる。

コミュニティの活動に、必ず入ろうとする。

どこへ行っても、なぜか隣にいる。

 

私はずっと

「追尾されているような気持ち悪さ」

(ストーカーの小さめ)

を感じていました。

 

でも、そんなことを思う自分が嫌で、


「私がうつ病だから過敏なのかも」

「私が悪いのかも」


と考え続けていました。

 

 

 

決定的だったのは、ある出来事でした。

 

その方が、

全く関係のない会話の途中で突然こう

言ったのです。

 

「Iちゃんは精神病なんだよ」

 

Iさんの話など一切していない場面でした。

しかも、とてもデリケートな個人情報です。

 

なぜ今それを?

なぜ私に?

なぜそんな言い方で?

 

強い違和感を覚えました。

 

さらに後日、

分かち合いのグループ以外の人に

あの人は軽い認知症なの。


でも、内緒にしてね。と!!


関係ない同じグループでない

別の人に話してしまったことも

分かりました。

 

その時、私は初めて気づいたのです。

 

これは悪意ではなく、

「守ってはいけない話題がある」

という感覚が弱い人なのだと。

(守秘義務)

 

本人の言葉が、決定打でした。

 

「カマかけられると

普通に答えちゃうから

ダメなんですねぇ~」

 

これを見た瞬間、

今までの違和感が一本の線で

つながりました。

 

・会話の文脈より、

頭に浮かんだことをそのまま言う

・秘密や個人情報の線引きが弱い

・守秘という感覚が薄い

・悪気はないが、配慮のポイントがズレている

 

だから、私の言い方も、丁寧な説明も、

何一つ届かなかったのです。

 

私が「分かってもらおう」とすればするほど、

私だけが疲れていく理由が、

やっと分かりました。

 

そして気づきました。

 

教会だから、信仰があるから、

デリカシーや配慮が備わるわけではない。

 

信仰と、

対人スキルは別物なのだと。

 

これは私の心が狭いのではなく、

私の感覚が普通だったということ。

 

やっと、自分を責めなくてよくなりました。

 

 

 

最後に私は、こうメッセージを送りました。

 

「まぁ、いいです。

私も疲れました。

この話は終わりにしましょう。」

 

これは相手を切る言葉ではなく、

自分を守る言葉でした。


 

 

もし、同じように

「どうしてこの人は話が通じないの?」

「私が気にしすぎなの?」

と悩んでいる方がいたら、伝えたいです。

 

それはあなたの性格の問題ではなく、

タイプの違いかもしれません。

 

そして、理解してもらおうと頑張るよりも、

距離を取ることの方が、

自分を守る近道になることもあるのです。


そして、モヤモヤしたこの心を

どうにか?したかったので朝ミサ

に与りました。


響いたのは、


「安心しなさい」

「行きなさい」


でした。