会津戦争のエピソードは、
彼岸獅子にしても唐人凧にしても 
もともとその風土に根付いた文化を 
戦争の最中にも関わらず
敵に見せているということが 
なんとも誇らしく思える。 


戦禍で武器で闘う以外の心理戦で、
郷土の文化で応じるという
発想のすばらしさ。 

戦だからと、
タブーにするんじゃなく 
敢えて生かそうと! 

さて、
戊辰戦争というのは、 
武家社会のいざこざに端を発し
それが市井の一般人にまでに影響…。 

武家じゃない立場からすると
マジでいい迷惑。
 
田島(現・南会津町)の日光街道の
守備にあたっていた若き家老山川大蔵。

別ルート
母成峠から突破され
新政府軍に囲まれた城に 戻る途中、
宿をとった小松村である奇抜な策をとる。 

それが美談として伝わっているけど、
 村人は気が気でなかったはずなのだ。 

ここに関しては、
地元の会津図書館に通い、
文献調べたり…ご子孫取材。

・・・元郷土研究部部長ですから(笑)

大蔵さん。
気性の激しい方だったそうで、 
穏やかに頼み込んだんじゃなかったよう。 

そもそも家老の命令に
農民たちは逆えなかったという。 

けど、村人たちは、
大蔵の策に 
危険を回避しようと何度も断ったと。 

その日泊めてもらった農家で激怒、
刀傷まで残したらしい。 

村人たちは
断って、断って…
が、受けるしかない情勢に追い込まれる; 

そして、
命の危険もある作戦に 
村の子どもたちが人選され、集められる。 

白虎隊よりも若いくらいのメンバー。 

明くる日、
農家の子どもらが隊列をなして、 
笛に太鼓を響かせながら、彼岸獅子姿で 
大人の武士たちを城まで送り遂げた。 

封建社会でいう上のほうにいる武士が 
農民の、しかも子どもに助けられてる。 

子どもも、いきなり集められて 
命を落とすかもしれない敵ばかりの城下に 
進んでいかなきゃいけなかったっていう…。 

武家の子息ならまだ
覚悟もあるかもしれない。

が、
ごく普通の農家で育ってる子どもがさ…。 

なぜ
危険にさらさらなければ
いけなかったのか。

失敗は決して許されない。

堂々と演奏しなきゃいけないっていう 
相当なプレッシャーでしょ。 

彼の秘策には
根拠があった。

幕府の命令でロシアに渡航歴があり、
フランスのナポレオン式軍隊を
実際見てきていたのだ。

その軍隊には、士気を高めるために、 
鼓笛隊がいた。 

それを、
薩長軍は取り入れていたという。 

当時、
城の周りにいた新政府軍というのは、 
薩摩・土佐の軍隊。 

長州兵は、
新潟経由で挟み打ちする計画で 
遅れていたため、
まだ、城下に入っていなかった。 

つまりだ。 

笛や太鼓の音を奏でて、行進してくる兵は 
ともすれば、
長州の兵かと勘違いさせることができた。 

敵なのか、味方なのかわからないまま 
堂々と城下を歩くことができたのだ。 

これらも含みおいての策略なのだ。

一か八かだったかもしれないが、
勝算の可能性に掛け、
村人たちを説得したに違いない。

子どもたちにも
絶対に大丈夫だと信じこませたのかも
しれない。

それくらいでなきゃ
敵陣に堂々と突っ込んでいけるか?

記録として残されてはいないから
定かではないが、そう思いたい。

後々、功績を讃えられ
この地区の彼岸獅子のみに 
会津葵の家紋を使うことを許されて 
今なお、彼らはそれを背負って舞っている。 

小松村で受け継がれてる彼岸獅子メンバーには 
その当時、隊列に加わり、 
無事に作戦を成功させた人物の子孫がいる。 

運良く、取材させていただき、
中継リポートしたのが10年前のこと。

彼らは
歴史を背負い、誇らしく舞っている。 

山川大蔵を知ったのは高校生の頃で。
以来、ファンなのだが、
知れば知るほど、かなりの人物で
驚かされる。

本当にありがたいことに
大河ドラマのこのシーンの撮影に潜入し、
再現場面を見学させてもらった。

正確には、
ドラマの撮影現場に絡めた企画を立て、
潜入レポートと関係者を取材(笑)

・・・

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